おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR布佐駅~天王台駅。その3。小堀(おおほり)の渡し。かつての土手。大利根橋。(利根川を歩く。第15回目)

2022-02-02 21:14:09 | 利根川を歩く

                        河岸に船着き場が見えます。

「小堀(おおほり)の渡し」の幟。

近づくうちに小型船が出航、

上流に向かいます。

「小堀(おおほり)の渡し」は、茨城県取手市内を結ぶ取手市営の渡船(とせん)(渡し舟・渡し船)です。利根川をはさみ、市内中心部と小堀(おおほり)地区を結び運航しています。

現在の渡船は令和2年3月に就航しました。船体色は、東京藝術大学美術学部長の日比野克彦氏が「市の鳥、かわせみにちなんだ、カラフルで、水面に映ったときの輝き」をイメージして、デザインしたものです。

歴史

かつて利根川は、取手市の南(現在の古利根沼(ふるとねぬま))を蛇行して流れていましたが、水害が絶えなかったことから利根川改修工事(明治40年から大正9年まで)が行われ、現在の形に姿を変えました。
その結果、当時、地続きであった小堀(おおほり)地区は、利根川により分断されました。利根川の改修により、交通の不便を感じた地域住民によって渡船場(とせんば)の設置が協議され、大正3年に渡し船を出したのが小堀(おおほり)の渡しの始まりと想定されています。
その後、昭和42年には取手町営となり、平成11年に取手市営の小堀(おおほり)循環バスが運行を開始するまで、通勤・通学や、住民の日常生活の足として活躍しました。
現在では、誰もが乗船できる観光船としての役割をもちつつ、茨城県はもとより利根川下流域に残る希少な渡し船として、かつての水戸街道「取手の渡し(とりでのわたし)」の風情を受け継ぎ、今も運航を続けています。

※大正3年(1914年)に運航を始めた小堀(おおほり)の渡しは、平成26年(2014年)に運航開始100周年を迎えました。

運行航路

「小堀(おおほり)」、「取手緑地運動公園駐車場前」、「取手ふれあい桟橋」の三点間で運航しています(一周 約50分)。「小堀(おおほり)」には駐車場がございませんので、車でお越しのかたは「取手緑地運動公園駐車場前」、「取手ふれあい桟橋」からご利用ください。

              

         リーフレット。

シンボルマーク。

(この項、「」HPより)

「小堀の渡し」船着き場。

そこから土手を見上げる

利根川の下流には、現在(平成26年2月)定期的に運航している舟運事業は3事業あります。これ以外にも不定期で船舶を運航している事業もあります。

」より)

利根川中流には、葛和田の渡し(赤岩渡船)があります。

葛和田の渡し(赤岩渡船)

埼玉県熊谷市葛和田と群馬県邑楽郡千代田町赤岩の間を通る利根川の対岸同士を結ぶ渡船です。埼玉県道・群馬県道83号、熊谷館林線の代替渡船で、県道の一部として位置づけられる『県道扱いの渡し船』です。

文献には、永禄年間(1560年頃)に上杉軍の渡過に使われた記録もある歴史ある渡船。江戸時代には年貢米や参勤交代の荷物をはじめ、生活物資等の集積場としても賑わいました。明治時代の中頃には鉄道等をはじめとする交通機関が発達したため、渡船場としての機能だけが残りました。大正15年(1926年)からは群馬県が運営し、昭和24年(1949年)に群馬県から千代田町へ運営が委託されました。

(この項、「」HPより)

さらに上流には、島村の渡し 
 天明3年(1783)の浅間山の大噴火による溶岩流の影響で、烏川の最下流部の河道は利根川に変貌してしまい、島村地区は利根川の左岸側と右岸側に分断された。島村の渡しは島村地区を結ぶ渡船。

すぐ隣がゴルフ場。

左後方は「小堀」の集落。

奥に「古利根沼」。

かつての堤の盛り土。

「古利根沼」から続く土手跡。

                  奥に沼の水面が。

再び「千葉県我孫子市」に。

水田が広がる。

中央奥に土手の跡。

常磐線・上野東京ラインの鉄橋が間近に。重なるように「大利根橋」が向こうに。

    

     「東我孫子カントリークラブ」。ゴルフを楽しむ人がけっこういました。駐車場もいっぱい。

国道6号線「大利根橋」。

             現在の橋は2代目。 全長は1209mで、利根川に架かる道路橋では最も長い。

                                                                         

1880年代のようす。渡しがあった。                  2010年代のようす。右の橋は常磐線鉄橋。

橋のたもとにある「東我孫子CC」で友人の迎えの車を待ちます。

このあとは二人でビールを飲み、結局、続行せず(できず)、JR「天王台駅」から帰宅。

※石原慎太郎元都知事が亡くなった。

当時、都庁に勤めていた小生。2011年3月11日。当日は、「都議会」の開会中。石原さんがそれまで曖昧だった、「次回都知事に立候補する」という所信表明があった、そのテレビ画面を見ていた、その直後の猛烈な揺れに驚いた記憶が鮮明に残っています。その後はてんやわんやの勤務になりました。

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