「柏市サイクリング道路」となります。遠くに柏市の街並み。
風が冷たい!
振り返る。新大利根橋。
「海から91㎞」。
サイクリング道路らしく何人も通過。
田畑の中にこんもりした森の一画。
何かいわれがあるのでしょうか?
舗装道路で歩きやすい。
遠くに高層住宅(柏市)。
「海から92㎞」。
遠くに「つくばエクスプレス」の橋脚が見えています。
ラジコン飛行機が。
視界が広がる。
田中調節池。
田中調節池は、鬼怒川の合流点にある菅生調節池とともに1926年(大正15年)に鬼怒川改修計画の一環として立案、1960年(昭和35年)に概成した。調節池の敷地は、昭和初期の段階で湿地や沼沢地であったが、第二次世界大戦後は食糧難から開拓が進むなど土地利用が進んだ。このため調整池の計画も調整を余儀なくされた歴史がある。その後、利根川の対岸に完成した稲戸井調節池と合わせて利根川本流の調整機能を支えている。 2019年10月の令和元年東日本台風(台風19号)による出水時には、田中調節池内の農地が完全に水没する水量を引き受けるなど、他の2調節池(菅生調節池と稲戸井調節池)とともに東京ドーム約72杯分と過去最大を調整量を記録した。(「Wikipdea」より)
※菅生調節池:今回の終着点・「野田スポーツ公園」の対岸(利根川左岸)にある調整池。野田市に属する。
以下は、「日本農民新聞」の記事です。
台風19号と水田(2019年10月16日)
今回の台風19号では、千曲川、阿武隈川などの大河川をはじめ各地の多く河川で氾濫、決壊、或はダムの緊急放流などの事態が発生し、大きな被害が発生した。広い範囲での短時間の降雨量のもの凄さに驚く。・・・この地に独特な事態を目の当たりにした。
台風19号が12日の夜半に通り過ぎた利根川流域の千葉県柏市~我孫子市にまたがる広大な水田地域では、雨の降り止んだ翌13日の朝から利根川の水が溢れ込みはじめ午後には水田や道路や電柱、ハウス群などすべてが水没して、見渡す限りの湖のようになった。遠くに筑波山がくっきり見えて、昨日までとは全く違う景観が出現した。これは利根川の治水システムの一環として設定された調節池(遊水池)で、利根川を挟む堤防の一部を低くして洪水の水位がそれ以上に高まる分を人為的に溢れ出させ、人の生活圏を護るもう一本の堤防との間に水をためることによって、下流の氾濫や破堤への圧力を減じる仕組みが作動したものである。ここは田中調節池(11・75㎡)と呼ばれるが、対岸の稲戸井調節池(4・48㎡)、少し上流の菅生調節池(5・92㎡)の三か所の調節池がこのように機能する。
水稲の収穫は既に終わっているが、ここ数年来増えたハウス群やその他の施設が水没して農業被害が発生しているであろう。洪水が発生すれば水没するのが当然の治水システムに位置づけられた地域であるとは言え、収穫以前に洪水に対処せざるを得ない事態も想定され、具体的な補償の仕組みがどうなっているのか気になるところだ。
忽然と現れた広大な濁水の湖を眺めながら、一頃よく見聞きした「水田のダム機能」という言葉を反芻していた。今回の台風がもたらした記録的な豪雨が主たる原因であるとしても、多くの地域で氾濫、決壊等が発生した原因の一面には、中山間地域等での耕作放棄による水田のダム機能の全体的な弱体化があったのではなかろうか。そして、まさに臨時的なダム機能を果たしている眼前の水田のような農地の存在を含めて、改めて国民的な再認識を促すことが重要であろうと思った。(N)
こうした広々と広がる、のどかな田園風景も、洪水・水害による生活圏(市街地)の被害を防ぐための重要な役割を担っているのです。水没時の写真を見ると、湖が出現したかのような一変した景色になっていました。
「田中調節池」の今昔。
2010年代のようす。下方に市街地が広がる。上が田中調節池。 1880年代のようす。湿地帯と畑(微高地)。
河川敷には緑の絨毯(牧草)。
ここにも菜の花。
「海より93㎞」。
「海から94㎞」。
正面に「つくばエクスプレス」の高架線。