おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

2月3日。節分。追儺(ついな)・鬼やらい。豆まき。鬼ごっこ。柊鰯。恵方巻き。

2022-02-03 21:21:23 | 世間世界

                  梅の花が咲き始めています。(「向島百花園」正門横)

                    左「しろかが(白加賀)」、右「ひとえかんこう(一重寒紅)」

今日、2月3日は「節分」。旧暦では1月3日。新春を迎えたばかりです。そして、明日は「立春」。

※「春節」は、中国・中華圏における旧暦の正月(旧正月)。全世界の華人にとって最も大切で伝統的な祝日。2022年の春節は2月1日(火)で、休みの期間は1月31日から2月6日までの7連休になる。

「節分」とは「季節を分ける」という意味。そのため、季節の変わり目として二十四節気の「立春」・「立夏」・「立秋」・「立冬」の前日が節分となります。したがって、「節分」は春・夏・秋・冬ごとに4日あったわけですが、その中でも春は新年の始まりでもあることから、「節分」というと、立春の前日を指すようになりました。

この行事は、古代中国で行われていた疫病を追い払うための「大儺(だいな・たいな)」という儀式が日本に伝わって、「追儺(ついな)」として宮中の年中行事として定められ、新年の前日である大晦日(旧暦12月30日)に行われるようになりました。

追儺は「鬼やらい」とも呼ばれ、お面をかぶって衣装をつけ、神に扮した方相氏(ほうそうし)と呼ばれる役目の人が、目に見えない邪鬼を追い払うという行事でした。

※「儺」という字には「はらう」という意味がある。

 平安時代の末になると、追儺の行事が変化し、それまで鬼を追い払う役目だった方相氏が、逆に鬼に見立てられて、群臣らに追い出されるようになりました。

その後、豆を投げることが追儺に取り入れられて、「鬼は外、福は内」と唱えるようになったようです。

さらに時代が下って、現在のように立春の前日(節分)に行うようになりました。

※「立春」と「元旦」とは一致しない。

豆を投げるようになったのは、「魔を滅する=魔滅(まめ)」からだとも、 また、「魔物の目をめがけて豆を投げれば、魔を滅ぼす」ことから、「魔目(まめ)」=「豆」とも言われています。さらに、炒った豆を使うのは「射る→炒る」という語呂合わせから、と。

現在の節分の豆まきには、大豆を用いることが一般的です。

民俗学では、現在の「鬼ごっこ」の起源が、この追儺・鬼やらいにあるといわれています。

 節分の日には、豆まき以外にも、炒った豆を神社やお寺に納めて無病息災を願ったり、厄除けのために炒り豆を食べたり、最近ではあまり見かけませんが、焼いた鰯(いわし)の頭を柊(ひいらぎ)の小枝に刺した「柊鰯」を門口に飾って邪気を追い払う風習があります。

柊鰯

柊の葉の棘が鬼の目を刺すので門口から鬼が入れず、また塩鰯を焼く臭気と煙で鬼が近寄らないという(逆に、鰯の臭いで鬼を誘い、柊の葉の棘が鬼の目をさすとも説明される)。

奈良県奈良市内では、多くの家々が柊鰯の風習を今でも受け継いでいて、ごく普通に柊鰯が見られる。福島県から関東円にかけても、今でもこの風習が見られる。(「Wikipedia」より)

紀貫之の「土佐日記」(平安初期)には、

元日、なほ同じとまりなり。・・・おしあゆの口をのみぞ吸ふ。このすふ人々の口を押年魚もし思ふやうあらむや。今日は都のみぞ思ひやらるゝ。「九重の門のしりくめ繩のなよしの頭ひゝら木らいかに」とぞいひあへる。

※「なよし」=ボラ(鯔)。「ひゝら木」=ヒイラギ(柊)

とあるように、相当古くからの風習のようです。「鰯」ではなくて「鯔」だったようですが。

この風習に由来する言葉で、「鰯の頭も信心から」というのがあります。「一旦信じてしまえば、どんなつまらないものでもありがたく思えるということ」。かなり皮肉交じりの成句ですね。

 また、近年、節分に恵方(今年は「北北西」)を向いて「太巻き」を丸かじりすると、願い事が叶い、無病息災や商売繁盛をもたらすという行事がはやっています。

これはもともと大阪、関西地方で行われていたもの(らしい。起源は定かではない)が、広島県の某コンビニ店で「恵方巻き」と名付けて売り始め、さらに他のコンビニでも大々的に宣伝、販売されるようになって全国に広まったものです。

「節分に行う行事の変化」

2005年のデータ(2021年の性年代構成比にあわせてウェイトバックした値)と、2021年のデータを比較してみます。<マイボイスコム株式会社調べ>

  • 恵方巻きを食べる……29.6% → 39.3%
  • 豆まきをする…………57.3% → 29.6%
  • 豆を年の数食べる……39.6% → 20.7%
  • 鰯にヒイラギ……………8.4% → 4.4%
  • 何もしない……………27.5% → 40.0% 

この16年で伝統的な「豆まき」や「豆を年の数食べる」、「鰯にヒイラギ(柊)」が減少し、「何もしない」と「恵方巻き」が増えていることがわかります。

(この項、「三浦康子ー暮らしの歳時記」より)

「恵方巻き」は、かなり売れ筋の商品となり、コンビニのヒット作になったわけです。他のスーパーなどでも盛んに売られています。

ただ、食べきれないで廃棄したりなど、「食品ロス」が問題になりました。

予約制などしているようですが、今年ははたしてどうか?

ところで、「豆を年の数を食べる」ということをしたら、後期高齢者の小生のお腹はどうなることか?

今夜は、ささやかな豆まきとささやかな数の豆を食べることにしました。

平安・鎌倉から長く続く「節分」の風習は、その中身が変化しつつも残したい行事の1つです。

「追儺より四方拝につゞくこそ、面白しろけれ。晦日の夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半すぐるまで、人の門叩き走りありきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を空にまどふが、曉がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。亡き人のくる夜とて魂まつるわざは、このごろ都には無きを、東の方には、猶することにてありしこそ、あはれなりしか。」(『徒然草』第19段)

「尹大納言光忠卿、追儺の上卿を勤められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ、「又五郎男を師とするより外の才覚候はじ」とぞのたまひける。かの又五郎は、老いたる衛士の、よく公事に慣れたる者にてぞありける。」

(『同』第102段)

いよいよ明日は、「立春」。

「向島百花園」。

          コロナ蔓延のため、休園中。塀越しに撮りました。    

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