「利根川」から「江戸川」が分岐する地点。右が利根川、左が江戸川。
そこからの江戸川。
3月5日(土)。晴れ。
さっそく、「関宿城博物館」までやってきました。
東武線「川間駅」からバスを乗り継いで、10時前に「関宿城博物館」へ。
そこから「利根川」と「江戸川」との分岐点まで歩き、そこから江戸川土手を、再び東武線「川間駅」まで。
利用した鉄道は「川間駅」から「川間駅」というわけです。
まず「江戸川」について。
総延長59.5㎞。茨城県猿島郡五霞町と千葉県野田市の境界付近にある関宿分基点(関宿水閘門のやや上流)で利根川と分かれ、千葉県と埼玉県、東京都の境を南に向かう。千葉県市川市付近で、本流である江戸川と旧流路である旧江戸川に分かれる。
現在の江戸川の最下流部は放水路として建設され、行徳可動堰(江戸川河口堰)を通り、千葉県市川市で東京湾に注ぐ。1960年の河川法改正に伴い、この区間の名称が江戸川放水路から江戸川になったものの、依然として「江戸川放水路」と呼ばれることも多い。
現在でも天然ウナギが捕れるほか、江戸川の河口付近は、三番瀬など東京湾でも数少ない干潟が広がる地域でもあり、トビハゼの北限生息地となっている。汽水性の希少なトンボであるヒヌマイトトンボの生息地の一つでもある。
利根川から江戸川に流れる水は関宿水門で水量を調整され、江戸川下流の住宅地が水害に遭いにくいようになっている。江戸川は北千葉導水路からの水を合わせて首都圏の上水道を支えている。しかし、江戸川が比較的人口の多い地域を流れるため、水質が良いとは言えず、浄水場によっては高度浄水処理を行っている(東京都水道局の金町浄水場など)。
(この項、「Wikipedia」より)
東京の東部・下町に住む人間には「荒川」「中川」と並び、とてもなじみの深い川です。
今回は、左岸を歩くことにしましたので、河口まで千葉県側を歩くことになります。その1回目。
先端まで行けるか心配でしたが、護岸工事用のしっかりした道(砂利道ですが)が先端まで続いていました。
平日は工事のため、立入禁止か?
江戸川の流れ。
利根川の対岸。
しばらく眺めます。
中央は利根川に架かる「圏央道」の橋脚。
一面霞んだような空模様。赤城山方向に奇妙な雲の塊。黒い噴煙を上げているような部分も。雨雲のような感じもないし、・・・。赤城山が噴火するわけはないはずです。いったい?
遠くに関宿城。
利根川の河川敷(葦)。
振り返る。
右が利根川、左が江戸川。どちらも葦が茂っています。怪しい雲も。
「関宿城博物館」の下まで戻り、いよいよ江戸川を下ります。
雨が降る気配はなさそう。
土手に上がると、
解説板。
川底を浚う(浚渫)
川の作用
川の作用には浸食、運搬、堆積という作用があります。浸食とは、川の流れによって川底や川岸が削られることです。洪水時にはこの作用が大きくなります。そして、削られた砂や土は、川の流れに乗って下流へ運ばれます。これが運搬です。下流に運ばれた砂や土は、流れの遅い場所の川底に溜まります。これが堆積です。
浚渫の必要性
砂や土の堆積によって川底が高くなると、洪水時に氾濫しやすくなったり、船の運航に支障をきたすため、川底の土や砂を浚う必要があります。機械のない時代、浚渫は鋤簾(じょれん)という道具を使って人力で行っていました。この作業には、多くの人々、費用・日数を必要としていました。やがて、明治時代に西欧諸国から浚渫船が輸入され、浚渫工事の効率化が図られました。
先に進みます。
「海から59.25㎞」。
関宿の田園風景。
土手一面の菜の花。
前回(2月23日)から一気に緑が増えて、「啓蟄」らしい季節に。