おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その4。利根運河。流山場外ヘリポート。尼谷の渡し跡。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

2022-03-19 20:40:24 | 江戸川を歩く

                  「利根運河公園」。この手前付近から「流山市」になります。

利根運河。

江戸川への流入地点。

利根川方向。

「利根運河」の利根川流入口(水門)は「利根川」歩きのときに通過しました。以下再掲。

「利根運河」水門。          

利根運河江戸川方向。

利根運河

千葉県柏市流山市野田市を流れる、利根川江戸川をつなぐ一級河川運河(人工河川)。日本初の西洋式運河である。全長は約8.5キロメートル。明治時代の開削と前後して、東京湾に直接乗り入れる汽船鉄道が整備されたため、太平洋戦争前には舟運の役割はほぼ終えている。現在は行楽地となっており、利根運河にちなんで命名された東武野田線運河駅周辺には、流山市立の運河水辺公園利根運河交流館、工事の中心となったオランダ人技師ムルデルの顕彰碑、大阪・通天閣のものと似たビリケン像などが整備されている過去の経緯から、現在の水量の割には土手が広大となっている。特に東京理科大学野田キャンパス最寄駅の運河駅付近は、春には見事な並木を見ることができる。

        

歴史

1890年(明治23年)2月25日に通水、同年3月25日に通船、同年6月18日に竣工式。

1915年(大正4年)の利根運河
 
利根運河を越える千葉県営軽便鉄道の列車(大正時代)

1891年(明治24年)の舟運は年間約37,600隻で、1892年(明治25年)4月14日に内国通運会社(現在の日本通運)が、利根運河に初めて汽船の運河往復試運転を実施、1893年(明治26年)4月1日に銚子汽船(後の銚子通運会社、銚子合同汽船会社)が初就航し、銚子-東京間は6時間短縮された。1895年(明治28年)2月15日には、東京-銚子間の直行の汽船が就航し、東京-小名木川-江戸川-利根運河-利根川-銚子の144kmを18時間で結んだ。

(この項、「Wikipedia」参照)

利根運河」全体MAP。

※かつての舟運のためか、現在は、川幅に比べ、両岸が広く高くなっています。

ここで、小休止。対岸ではラジコン飛行機が飛んでいます(↓)。

さて再開。

流山場外ヘリポート。

ヘリコプターの離発着の他、「DSLドローンスクール流山屋外練習場」として活用されているようです。

           (「流山場外ヘリポート」Facebookより)  

「海から34㎞」。

「河川管理境界」。

                     ←松戸出張所 運河出張所→    

     

田畑の向こうには、「DPL流山IV」など大型の物流施設が並ぶ。

※「DPL」は、「大和ハウス工業」の物流施設。

          対岸は、「OUTDOOR SPORTS PARK」。

ゴルフもバーベキューも。ソト遊びの新たな創造。
都心からすぐの新しいアウトドアリゾート。
家族で仲間で集える、ちょっと贅沢な“本物の遊び場”です。

ゴルフ場の大自然を一般の人にも解放。ゴルファーのみでなくファミリーや若い世代にも、
開放感あるアウトドア体験を可能にした「OUTDOOR SPORTS PARK」。
ゴルフ場・ゴルフ練習場はもちろん、本格的なバーベキューやアメリカンスタイルのレストラン、
サイクリングやランニングのエイドステーションなど、多様なコンテンツを備えたアウトドアリゾートです。

      

   (「」HPより)

②「尼谷の渡し跡」
平方村新田と平方新田(埼玉側)が共同で運営していた渡しで、三十人ほどが乗れる大型の舟を使用し、時には牛や馬、自転車も渡したと伝えられている。

対岸。

この付近の今昔。

                                                                     

1880年代のようす。                       2010年代のようす。

コメント
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