おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

流鉄「流山駅」~京成本線「国府台駅」その3。主水新田 川一里塚。新田開発。上葛飾橋。江戸川松戸フラワーライン。(「江戸川」を歩く。第3回目。)

2022-03-29 20:57:25 | 江戸川を歩く

          「樋野口(ひのくち)・川の一里塚から4000m」。

※「樋野口」は江戸川下流(4㎞先)の地名。

住宅の向こうに田畑が。

大きく右へカーブします。

「海から24.0㎞」。距離が減っていく歩きの方がいいですね。

      

                 「水辺の健康エコロードマップ」。下には「まこも池」。

この付近から江戸川沿いに「矢切」までの約9㎞の案内図。トイレや休憩施設などもあって、それぞれに適した距離を歩くことができます。地元の方でしょう。親子連れ、ご夫婦など、歩いている人が多くなってきます。

「主水(もんと)新田・川の一里塚」。左に解説板。

川の一里塚

江戸川は、水と緑に恵まれ広大で貴重な水辺空間であり、年で生活する人々に「つどい・いこい・くつろぎ」の場をもたらしています。このような江戸川の特性を活かし、主水新田地先の堤防に木陰のある休憩場所と位置確認の目印として利用できる「一里塚(たまり)を設置しました。

一里塚の歴史

一里塚の起源は古代の中国にあり、路側に1里ごと塚を築き、その崩壊を防ぐために落葉高木のエンジュ(槐)を植えて里数をしめした。我が国の一里塚もこれにならったといわれている。

 その日本では、織田信長(1535~1582)が36町を1里として領内に一里塚を設けたのが始めといわれ、徳川家康が継いで江戸日本橋を基点として1里(約3.9㎞)ごとに五間四方の塚を道の両側に目印(道標)として築いたものである。・・・塚の上には旅人の涼をちるための緑陰や雨宿り、あるいは冬の寒い北風を避ける等の休憩としても機能させる目的から、通常エンジュに似ていて土中に深く根を張る落葉高木であるエノキ(榎)が植えられた。

一般の人々が地図を持たない時代にあっては、この一里ごとの塚は、自分の位置を確認する上できわめて重要であったと考えられ、また旅の日程の目安にもなっていたものと思われる。(「解説板」より)

まこも池。

まこも池緑地は、かつては、「主水池」と呼ばれ、主水新田の水田の灌漑用の池として利用されていました。その後、松戸市が土地を取得し、自然環境の根幹である緑を保全し、創出することを目的とした整備を行いました。今では市内で唯一の釣りができる公園として、常にヘラブナ釣りの人々で賑わっています。

(この項、「」HPより)

※松戸市域にはこの「主水新田」等、江戸川に面した低湿地帯に江戸時代の初期開発された新田開発があります。

                                                                                         

1880年代のようす。開発者の名が付せられた新田。          2010年代のようす。宅地開発が進む。 

遠くに富士山。

         

「海から23.0㎞」。正面遠くに「東京スカイツリー」。

薄雲が広がりつつある。

次第に住宅が建ち並ぶように。

            松戸市立古ケ崎(こがさき)中学校。

河川敷スポーツ広場が何面も。

「海から22.0㎞」。

古ケ崎排水機場。

「古ヶ崎浄化施設」解説板。

江戸川の水質改善をはかり、施設下流における上水道口でのカビ臭さやカルキ臭さなどの問題を軽くすることを目的として建設されました。・・・

 

住宅が次第に増えてくる。

川の一里塚(古ヶ崎)。

上葛飾橋。

※昭和 55 年 (1980 年) に千葉県道路公社管理の有料道路 (松戸三郷有料道路) の一部として竣工・開通。平成 20 年 (2008 年) に無料開放された。

橋の下流には、

江戸川松戸フラワーライン。

       

春はポピー、秋はコスモスと松戸の名所の一つとなっている江戸川の河川敷に広がる約2へクタールの花畑です。花畑はフラワーボランティア、地元町会や河川愛護団体と協働して運営、管理しています。

ポピー  コスモス。

(この項、「」HPより)

「←樋野口川の一里塚」道標。               

コメント
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