おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

京成線「青砥駅」~JR武蔵野線「吉川駅」。その5。共和橋。海から24.0㎞。八条橋。新中川水道橋。武蔵野線・吉川駅。(「中川」を遡る。第2回目。)

2022-06-07 20:32:21 | 中川を遡る

疾走するボート。

           対岸は、「中川やし おフラワー パーク」、「中川やしお水辺の楽校」。

人工のワンドも。

その隣は、「フラワーパーク・マリーナ」。

     

すぐ「共和橋」が。

                首都高6号線と県道が併走する橋。

橋の下から上流を望む。

「(海から)24.0㎞」という立て札。

振り返る。共和橋。

八潮排水機場。        

猛スピードで旋回するボート。

東京ガス管橋。

「潮郷橋」。

             「東京外環道」と「国道298号線」が通過する橋。

※橋の名は「八潮市」と「三郷市」結ぶところから。

橋の下から下流を望む。

樋門。水鳥の姿(↓)。

「八条橋」。

対岸は、八潮市。

           

橋の名前の由来は、かつてここに八条の渡しがあったことから。八条は八潮市の前身の八条村からである。1961年(昭和36年)架設の現行の橋は、橋長は139.3メートル、総幅員は6.6メートル、有効幅員6メートルの8径間の鋼鈑桁橋の永久橋である。歩道は下流側のみに設置されている。交通量がかなり多く、老朽化が進んだため、拡幅し架け替える計画がある。

八条の渡し

橋が開通する以前は「八条の渡し」と呼ばれる、埼玉郡八条村と葛飾郡上彦名村を結び、川幅六十間(約108.6メートル)を渡る渡船三艘を有する官設の渡船(官渡)であった]。渡船はいつから開設されていたか定かではないが、足利持氏1419年応永26年)の御教書に河関について記されていたことからその頃までには存在したとされる。なお、応永年間当時は利根川の本流であった。 渡船賃(通行料)は5文で、1日の通行量は多い日で約2000人であった

            この付近の今昔。

                                                                   

1880年代のようす。渡し場がある。               2010年代のようす。ほぼ同じ位置に橋。

「吉川市」に入ります。

この先は工事中のため、立入禁止。土手下の道路に下ります。

     

                     

「なまずの里、吉川市」。

ずいぶん前、この付近で(店名を忘れましたが)、なまずを食べたことがありました。天ぷら風にしたものでした。淡泊な味でしたが、ヒゲが妙に気になりました。やはりうなぎがよろしいようで。

赤く塗られた橋は、「新中川水道橋」。自転車や人が通れます。

                けっこう川からの高さがあります。

下流を望む。

上流を望む。

                  上流には「JR武蔵野線」の鉄橋。

         遙か遠くに「スカイツリー」(↓)。

ようやくJR武蔵野線「吉川駅」に着きました。今回は、ここまで。

     

コメント
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