おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR武蔵野線「吉川駅」~東武野田線「藤の牛島駅」。その2。田島橋。オオヨシキリ。まつぶし緑の丘公園。左岸・右岸行ったり来たり。(「中川」を遡る。第5回目。)

2022-06-25 21:04:18 | 中川を遡る

               先に古そうな橋があります。「幅1.8m、重量制限1.5t」との標示が。

「田島橋」。「赤岩橋」と同様、軽自動車以下が通行可。

橋の上から上流を望む。

橋を渡って右岸を歩きます。

                すぐ左脇を流れる「八間堀悪水路」の向こうは、水田が広がります。

                         ※悪水路=農業排水路

大量の水が流れ込んでいます。

「豊橋」。

                  道路橋と歩道橋が並んでいます。

流入口。

こうした排水路から流れてくる中川も水量が多い印象。田植え後の水量調整が行われている様子です。

左の水田にはシラサギが。

しきりに甲高い声で啼く鳥たちがいます(姿は見えませんが)。

「オオヨシキリ」のようで、田んぼのそばのヨシ原から聞こえてきます。

            (「Wikipedia」より)

夏の季語「行々子(ギョギョシ)」は、オオヨシキリの鳴き声から。
「行々子口から先に生まれたか」 by小林一茶

全長18.5cm。頭から背、翼の上面、尾の上面は淡褐色をしています。下面は黄白色。口元にひげがあります。腰は淡色。「ギョギョシ ギョギョシ ギョギョシ」あるいは「ケケス ケケス カイカイシ」などと聞こえる大きな声。多数がさえずっていると暑苦しいし、うるさいとさえ思うことがあります。アジア大陸の中緯度で繁殖し、冬期は熱帯地域へ渡ります。日本では全国で繁殖する夏鳥ですが、沖縄地方では渡りのみ。数本のヨシを束ねてお椀型の巣をつくります。一夫多妻性で、同時期ではありませんが、オスの周辺にメスが巣をつくり、抱卵、育雛します。一夫五妻の例も知られています。カッコウに託卵されることも多いことで有名。河川、池沼、海岸などの水辺に広がる葭原に生息しています。

(この項、「|日本の鳥百科|サントリーの愛鳥活動」HPより)

※余談ですが、「一夫五妻~僕がモテる理由~」というコミックがあるそうです。

妻味一夫はいたって平凡な30歳のサラリーマン。しかし一夫には、下は10代から上は40代まで5人の妻がいる。妻といっても法律上の妻ではない。結婚を前提としたプレ結婚生活、いわゆる事実婚。1人の夫と5人の妻たちが巻き起こすラブラブ妻コメディー!!

(この項、「」より)

外で、こんな賑やかな鳥の啼き声を聞くのは久しぶりです。

対岸。

「松乃木橋」と水管橋。

この先しばらくは、一直線。

                       先に見えるのは、「新開橋」。

新開橋のところで、釣り人が。

その先、右手から農業用水が合流。

    

この付近の今昔。

                     1880年代のようす。北に大きく湾曲している。

    上部の流れは、現在の中川の流れとは大きく異なる。

                     2010年代のようす。湾曲した部分が直線化。

     右上には旧流路が農業用水路になっている残っている。

この付近は、かつての流れのまま?

          

左手に小高い丘が見えています。「大落古利根川」歩きの時には気づきませんでした(右手に位置する)。

「まつぶし緑の丘公園」。

県南東部、松伏町の北部に位置し、南側を県道春日部松伏線、北部を県道野田岩槻線に接しています。里山、広場、水辺からなる原風景を創出し、樹林や野鳥、草花、昆虫等のふれあいを通じ、公園利用者が心も体も元気になることを目指して計画した公園です。
中川と大落古利根川に挟まれた平坦な区域に、地域のランドマークとなる緑豊かな丘を築く等、「人と環境にやさしい都市公園」として整備が進められ、 平成19年4月に一部が、平成28年4月に全面が開設されました。

(この項、「埼玉県」HPより)

「倉田橋」。

         

右岸も左岸も、この先は東埼玉道路建設工事のため通行止め。左岸を大きく迂回します。

         

             中川土手方向を望む。一面、水田。イネがけっこう伸びています。

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JR武蔵野線「吉川駅」~東武野田線「藤の牛島駅」。その1。起点まで約50㎞。二郷半領用水路。穀倉地帯。田園ホール・エローラ。(「中川」を遡る。第5回目。)

2022-06-25 19:17:10 | 中川を遡る

今回から、「中川」が「大落古利根川」と「弥生橋」で分岐し北上する川筋を遡った報告。

ここから羽生市にある起点まで、約50㎞。

出かけたのは、梅雨入り間近の6月12日(日)晴れ。その後、曇りが続いた日に歩きました。

それから2週間。今日、6月25日。東京・埼玉は猛烈な暑さです。

こういう猛暑日の川歩きには命の危険が。木陰など遮るものはなし! 近くに休憩できるようなお店もなし! 草いきれの中を歩く! マダニでもいたら、オオゴト! ・・・適度な水分補給と休息を、などいうのんきなことは言ってられません。

というわけで、涼しい部屋でブログを編集しています。

さて、

「弥生橋」から「中川」下流を望む。 

ここで、「大落古利根川」と分かれ、上流へ向かいます。                  

「中川」上流を望む。一直線。昭和初期に開削された水路。

  遠くに筑波山(↓)。

「赤岩橋」。

橋の上から西の方角を望むと、遠くに残雪の富士山(↓)。

この先、土手道は草刈りのため、通行止め。

そこで、すぐ東側を流れる「二郷半領用水路」伝いに歩くことに。

「二郷半領用水路」。

吉川市三郷市北葛飾郡松伏町東部地域の灌漑の為に整備された用水路

水路の歴史は古く、寛永年間に開削された用水路で、現在の東京都葛飾区地内の葛西領利根川に水源を求め水路を整備した際に、松伏溜井から15km下流の小合溜井まで送水するために整備された水路が元である

江戸川中川に挟まれた三郷市吉川市の地域は、古くは二郷半領と呼ばれていた。この地域は早場米の産地であったが、元々中川低地に位置しているため、たびたび水害に悩まされていた。そのため、戦前戦後を通じて幾多の灌漑排水事業を行った結果、良質な穀倉地帯となった現在、松伏町大字松伏の二郷半領揚水機場にて大落古利根川の松伏溜井から、また水量補給の為、三郷市彦川戸の二郷半領中川揚水機場にて中川より取水を行っている

(この項、「Wikipedia」より)

※「領(りょう)」は、利水や水防を目的として、鎌倉時代頃から自然的に発生した共同体。

この用水路に関する記事を掲載したことがあります。

葛飾区水元公園北にある「弐郷半領猿又閘門」。

※「弐郷半領」が、「猿又(東京都の地名。現在水元猿町)」に建設した閘門(水門)という意味。

当初、木造だったので腐朽が激しいうえに、洪水のたびに破壊され、頻繁に修繕を強いられていました。明治時代になり、当時の最先端の建材である煉瓦を使って改良された。

かなり激しい流れになっています。画面左・水元公園側から右・中川(大場川)。かなりの落差があります。・・・

はるか遠くまで広がる水田。

             さすが、「穀倉地帯」です。

土手に上がれそうなので。といっても、草の中の踏み跡。

草刈りをした後のようですが、足もとにはもう草が生え始めています。

次の橋「旭橋」が前方に。

橋を渡った左手には、「松伏記念公園」や「中央公民館(田園ホール・エローラ)など総合運動・文化施設が広がります。

中でも、音楽ホールとしては超一流の施設、田園ホール「エローラ」。

日本が世界に誇る作曲家として、又、温厚さと誠実な人柄ゆえに、多くの人々から愛されていた芥川也寸志先生は、作曲家としての仕事の他、日本音楽著作権協会会長、テレビ、ラジオ、そしてアマチュアオーケストラの育成、ホールの建設にと幅広くご活躍をなされておりました。
当町の音楽ホール建設についても、快くお引き受けくださり、音楽ホールの基本的な考え方やホールの重要性、演奏者としての立場からのご指導を受け、ホール建設が進められました。
そして、町民に呼びかけ、愛称選考委員会や芥川先生にご相談をし、豊かな田園をイメージし、「田園ホール」を推薦いただきました。
そして、先生の訃報を聞くことになり、ホール建設にご指導、ご協力をいただいた先生の功績を後世に伝え、感謝の意を込めて先生の代表的な作品である「エローラ交響曲」よりお名前をいただき、愛称を「田園ホール・エローラ」といたしました。

              (「松伏町」HPより)

※エローラ

インド西部マハラシュトラ州7世紀から10世紀ごろの仏教ヒンズー教ジャイナ教石窟(せっくつ)寺院現存また、巨大な岩塊削り出し造ったカイラーサナータ寺院がある。窟の壁面には美し浮き彫り施され仏像神像などが残っている1983年エローラ石窟群」の名称で世界遺産文化遺産)に登録された。

(「デジタル大辞泉」より)

    (「世界遺産オンラインガイド」HPより)

ここに描かれた神々は、人間の官能性・性愛を肯定。セックスそのものを彫刻にしている。芥川也寸志氏は、この石窟寺院を訪れたときの強い印象から、「エローラ交響曲」を作曲した、とのことです。

二郷半領用水路が右手に離れて行きます(↓)。

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