3月30日(木)。曇りのち晴れ。
今回は、「寺家(じけ)ふるさとの村」の水車小屋付近から森の中に進んだ都県境が、森から出たところから。
前回の最寄り駅・東急線「市が尾駅」からバスで「下麻生」まで。帰りは、小田急線「黒川駅」へ。
町田市からなかなか抜け出せません。いかに都県境が入り組んでいるか、の証しみたいな地域。
鶴見川に架かる「水車橋」。
橋を渡って右へ向かいます。「恩廻(おんまわし)公園」へ。
右から合流する「真福寺川」。
桜が満開。
「恩廻公園」。
「恩廻(おんまわし)公園建設の由来」。
鶴見川は、以前蛇行しながらこの公園の敷地を流れていましたが、神奈川県は地元の方々の用地の提供、家屋の移転など多大なご協力を得て、昭和48年度(1973年)から昭和51年度までの間に河道を整備し、現在の姿にしました。県は、この河川改修工事によって生じた延長800㍍、面積2㌶の旧河川敷地に憩いの広場を建設するため、昭和52年度より工事に着手し、3億円の巨費を投入して昭和57年度にこの広場を完成しました。この広場は皆様のご意見により「恩廻公園」と命名されました。・・・
「おんまわし橋」。
右奥から鶴見川に合流する川は、「麻生(あさお)川」。
川崎市のマンホール。
中央にある市の花「ツツジ」を、市章と七個の市の木「ツバキ」が囲んでいる。
※ツバキの数は、七つの区を表している。
この付近の今昔。
2010年代のようす。直線化されている。
1880年代のようす。「恩廻公園」が旧流路。
(「今昔マップ」より)○の一部が「恩廻公園」。※「恩廻」という地名は、昔から、ある。
「麻生川」も大幅に河川改修され、直線化されている。都県境は、変化なく、そのまま現代まで踏襲されている。
都県境にもなっている道を進みます。
左手が、町田市。
町田市のマンホール。
来た道を振り返る。
この敷地もかつての「鶴見川」の河川跡のようです。
町田市三輪地区。
方角は、下が北。公園は、旧流路を端的に示している。
「麻生橋」から上流を望む。
左手に見える施設は、川崎市麻生区に属しています。
「恩廻調整池」。