「荒井浜」は、この付近では一番大きなようです。
渚の中央が砂浜で、左(南)右(北)が岩場になっていて、泳ぐだけでなく、磯遊びも楽しめる場所。
磯遊びを楽しむ。
向こうに見えるのは、「諸磯崎灯台」。
浜辺には、「三浦一族資料館」。
そこから海を望む。
北側の岩場。
海を望む。
さて、次の海岸へ。
この付近は、リアス式海岸になっていて、海岸線が入り組んでいます。
「油壺マリンパーク」が閉館になり、再開発の予定に。
・・・
マリンパークは相模湾を望む三浦半島の先端部の高台に位置し、当時は東洋一とされた大回遊水槽などを有した施設として1968年に開業。葉山御用邸(同県葉山町)にも近く、皇族が非公式に訪れることも多かったという。81年には屋内でイルカなどのショーを観覧できる施設もオープンし、近年も週末を中心ににぎわいをみせた。建て替えの議論なども浮上したものの、京急電鉄は2021年5月に老朽化などを理由に閉館を決めたという。
決定後には閉館を惜しむ客の来訪が増加。新型コロナウイルスの影響で来場者を2500人に限定しているものの、駐車場や近隣の道路が慢性的な渋滞となった。
マリンパークによると、閉館後の動物らの移送先はすべて決まっているという。利用者の写真やエピソードを車内に掲示した京急線の列車「マリンパークギャラリー号」を運行するなどして往時を振り返るほか、オンラインを活用した情報発信なども進める方針という。
(以上、「日本経済新聞」2021年9月30日)
京急油壺温泉キャンプパークオープン
2021年9月末に閉館した京急油壺マリンパーク周辺敷地を活用したアクティビティスポット、「京急油壺温泉キャンプパーク」を2022年1月24日(月)にオープンいたします。
都心から1時間半程度でアクセスできる「京急油壺温泉キャンプパーク」は、三浦半島西側の眺望を活かし、キャンプサイトから富士山や相模湾に沈む夕日が望めるほか、モンゴルサイトでは馬を眺めながらキャンプできる非日常を体験できます。
パーク内には、BBQ、ドッグラン、ポニーとのふれあい体験などのアクティビティが充実しており、隣接するホテル京急油壺観潮荘の小網代湾を一望できるレストランや、天然温泉の露天風呂とあわせ、エリア全体で一日楽しむことができます。また、日中は入場無料で開放いたしますので、開かれた公園として気軽に散策することができます。
京急グループは、今後も「都市近郊リゾートみうらの創生」実現に向け、地域事業者等と連携を図り、エリアの活性化を行なってまいります。
(この項、「」HPより)
「京急油壺温泉キャンプパーク」。
初代園長 末広恭雄さんの記念碑。「愛」 魚わが友
「胴網海岸」へ下る途中の駐車場脇に、「新井城跡」碑。
下り坂の途中には、
「三浦道寸の墓」解説板。
新井城城主三浦道寸義同は鎌倉以来坂東武門の名族である三浦一族最後の当主となりました。三浦一族は始祖為通にはじまり鎌倉時代には北条氏とともに幕府を二分して覇権を争ったことはよく知られています。この間、和田の乱(和田義盛滅亡)宝治合戦(三浦泰村滅亡)などいく度か興亡を繰り返し、450年の後、奇しくも同じ北条を唱える伊勢新九郎(北条早雲)と戦い、戦国騒乱の世の露と消えました。
永正9年(1511)北条早雲は岡崎城(平塚市伊勢原市両市にまたぐ)から住吉城(逗子市)などにつづいて三浦氏を新井城(油壺)に攻めました。
そして日本籠城史でもまれな凄惨な攻防は3年にわたり、永正13年7月11日義同以下城兵ことごとく決戦にのぞみ、ここに、さしもの三浦氏はその歴史を閉じました。
(義同辞世の歌)
討つものも討たるるものもかわらけよ
砕けて後はもとの土くれ
三浦道寸の墓。
「小網代湾 胴網海岸」。
小さな浜辺で、静かな佇まい。
坂道を下ったところに、「横堀海岸」。
こうして油壺巡りを終了。「油壺温泉」バス停から「三崎口駅」まで戻ります。
今度、孫達と海岸に遊びに来ようかな。
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