おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

京成上野駅~青砥駅。その13。補足編。市松人形「人形松菊」。貸本屋「楽文堂書店」。

2020-06-19 20:02:41 | 沿線歩き

                            「人形松菊」。

青砥駅近くにある「市松人形」のお店。以前から気になっていたお店です。

雛人形・市松人形の松菊へようこそ 

松菊では一般的な人形から個性的な人形へと研究を重ね納得のいく作品づくりを心掛けております 
また、自由に着せ替えができる裸市松人形も取り扱っております。更には市松人形以外にも江戸雛や 
木目込み人形などの江戸人形を部品から製造しています。また,松菊では、年間100体以上の修理を、 
手掛けています。ガラスケースの修理も承ります。ぜひご相談ください。

江戸市松人形とは

 日本の人形とは平安時代に新生児の無病息災を祈るため、枕元に置いた天児や這子と呼ばれるものが原形ではないかといわれ、京都で発祥したものです。
その後、江戸時代となり諸大名が参勤交代の折に苗字帯刀を許された人形師たちが随行し,その弟子たちが各地に人形を普及させました。更に元禄年間には江戸の 町人文化が発達し幾多の名士の指導のもとに多くの職人が技術指導を確立してそれぞれの雛人形、五月人形、市松人形、風俗人形などを作り、江戸人形の伝統の基礎を気づきました。
当時爆発的な人気を博した歌舞伎役者「佐野川市松」の若衆姿を再現した人形がこれまで続いている市松人形の由来です。
人形に切りの粉を固めた桐塑の生地に胡粉を塗り重ねることで、生き生きとした表情を創り、目玉はガラス、頭髪は人毛や絹糸を用いて、 衣裳は古いちりめんなどを着せて自由に着せ替えができるのが特徴の日本の伝統的な人形です。

裸市松人形
 
松菊では、自由に着せ替えができる江戸衣裳市松人形の製造も行っています。

市松人形の為の着物。

人形師紹介

菊地之夫‐Yukio Kikuchi‐ 東京都伝統工芸士 昭和32年 葛飾 青戸 生れ
略歴 松菊は、先々代かせ、現在の墨田区東向島で菊地人形製作所として発足。昭和53年には、青戸にて製造を一本化し、数々の修業を経て、五月人形・ひな人形等の製造法も身につけ、現在その技術を磨き、伝統の技法により一品物の人形を手掛けている。

(この項、「人形松菊」HPより)

「歴史資料室」も設置されているようです。

久々に通りかかったら「貸本屋」さんが取り壊されることに。既に更地になっています。 

 取り壊される直前の写真。

子供の頃は漫画本、長じて小説などを借りに行きました。1日10円だったかいくらだったか。病弱な旦那さんと元気な奥さんの二人で経営。中学から高校、大学の頃までけっこう乱読気味で、江戸川乱歩、横溝正史とか小説雑誌、「ガロ」(注1)とか少し背伸びをした本などせっせと毎日のように借りに行きました。ちょっと本屋さんで買いにくい小説なんかも取り置いてもくれました。そのうち、ご主人が亡くなって店も閉めました。その頃には、自分で本を買ったり、近所に公営の図書館が出来、そこで借りたりしてすっかり縁遠くなりましたが、奥さんが年老いてもお一人で生活していたようです。鉢植えの花々をせっせと世話をしていました。「月下美人」(注2)というすてきな花もありました。いつしか姿が見えなくなり、そのうち家を取り壊す張り紙がされました。

注1「ガロ

『月刊漫画ガロ』は、1964年から2002年頃まで青林堂が刊行していた漫画雑誌。大学生など比較的高い年齢層の読者に支持され、独創的な誌面と伝説的経営難の中で独自の路線を貫き漫画界の異才をあまた輩出した。創立者は白土三平、初代社長兼編集長は、青林堂創業者の長井勝一(ながい かついち)。1998年からは青林堂の系譜を引き継いだ青林工藝舎が事実上の後継誌『アックス』を隔月で刊行している。 
『ガロ』は先見性と独自性で一時代を画し、単なる漫画雑誌には止まらない足跡を出版界に遺した。また、独自の作家性を持つ個性的な漫画家たちの作風は「ガロ系」と呼ばれ、『ガロ』出身ではない作家でも「あの作家はガロ系」としばしば表現される。彼らの作風は、海外のオルタナティヴ・コミックの作家たちとも親和性が高い。 

日本初の青年漫画雑誌『月刊漫画ガロ』は、それまで貸本漫画の出版などで知られていた編集者の長井勝一と漫画家の白土三平により1964年7月24日に創刊された。誌名は白土三平の漫画「やませ」に登場する忍者「大摩のガロ」から取っているほか我々の路すなわち「我路」という意味合いもあり、またアメリカのマフィアの名前(ジョーイ・ギャロ)も念頭にあった。誌名の複数の候補からガロを選んだのは長井の甥である[3]。題材・内容とスケールから連載する場所がなかった白土の漫画『カムイ伝』の連載の場とすることが創刊の最大の目的だった。同時に、活躍の場を失いつつあった貸本漫画家への媒体提供と、新人発掘のためという側面もあった。 
長井勝一は後年「執筆者が7人以上いないと雑誌と認めてもらえなかった」と創刊時を振り返っており、水木しげるや白土三平が複数の名義を使い執筆者を水増ししての創刊だった。当初は白土三平の赤目プロの援助を受けて刊行された。雑誌のロゴも白土が発案し、レイアウトのほとんどを白土が構成した。表紙のレイアウトは週刊誌『朝日ジャーナル』を意識した。『ガロ』に触発された手塚治虫は虫プロ商事より『COM』を創刊、『カムイ伝』に対抗した『火の鳥』を連載する。ともに全共闘時代の大学生に強く支持されていった。 
1960年代の『ガロ』は、白土三平の『カムイ伝』と水木しげるの『鬼太郎夜話』の2本柱でおよそ100ページを占め、残るページをつげ義春、滝田ゆう、つりたくにこ、永島慎二などがレギュラーとして作品を発表していた。新人発掘にも力を入れていた当時の青林堂には、毎日のように作品が郵送で届き、多いときには2日、最低でも3日に一人は作品を小脇に抱えた若者が訪れた。 
『ガロ』は商業性よりも作品を重視しオリジナリティを第一としたため、編集者の干渉が比較的少なく、作家側にすれば自由に作品を発表できた。また、新人発掘の場として独創的な作品を積極的に掲載した。こうしたことはそれまで漫画という表現を選択することのなかったアーティストたちにも門戸を開放する結果となり、ユニークな新人が続々と輩出されるようになった。・・・

(この項「Wikipedia」参照)

注2「月下美人」。サボテン科クジャクサボテン属の常緑多肉植物。夜に咲き始め翌朝までの一晩でしぼむ。 

     (「Wikipedia」より)

すでにすっかりなくなってしまったんでしょうか?

貸本文化は江戸時代からのようです。

江戸時代、出版技術の発展による刊行物の増加や写本の流通量の増加によって、一般大衆にも読書の習慣が広まった。江戸時代の庶民にとっては、本を買い求めて読むよりも、貸本屋や行商人から見料を払って読むのが一般的であった。長友千代治は、『きのふはけふの物語』の「ものゝ本売に下」という記述から、貸本屋の誕生を寛永はじめ頃と推定し、元禄頃になると貸本中心の行商本屋が出現したと指摘している。 
貸本屋は、版元からの直接購入、貸本屋同士の売買、貸本類仕入所などからの購入、貸本屋自身による作成の4つの方法で商品を揃えた。江戸時代の貸本屋大野屋惣八の扱った蔵書を見ると、人情本・洒落本・滑稽本・草双紙をはじめ、井原西鶴や曲亭馬琴といった有名作家の作品、軍書や兵書、浄瑠璃本や実録本まで、そのジャンルは近世文学全般に及んでいる。 
 20世紀初頭から、貸本屋は江戸川乱歩や手塚治虫を始めとする数多くの大衆小説家や漫画家の作品を刊行して読者層を増やし、怪奇漫画や貸本劇画などの新しい文化を生み出した。 
 戦後、小説や漫画単行本、月刊誌を安く貸し出す貸本の店が全国規模で急増した。のちに登場するレンタルビデオ店の先駆的な存在である。貸本の店は大衆娯楽小説や少年漫画などの単行本、成年・少年・婦人雑誌などを提供する場として1960年代初頭まで日本全国にあふれていた。1940年代末からは漫画を中心に貸本の店専用書籍も刊行され、『墓場鬼太郎』(『ゲゲゲの鬼太郎』の原型)などを生んだ。 
 1950年代後半からは図書館の充実、図書全般の発行部数の増加、出版社が販売する雑誌の主軸が月刊誌から児童や庶民でも安価に購入できる週刊誌へ移行した事などにより、一部の店舗が一般書店に転向したほかは急速に減少、1960年代半ばに店舗を持たずに各家を回る巡回式貸本業がいったんほぼ消滅し、貸本専用書籍も1960年代をほぼ最後に後を絶った。 
 現在貸本の店は小規模で経営する店舗が少数存在するのみである。「貸本」自体は、無店舗経営で本を宅配する業者などの誕生や後述する大規模ビジネスへの移行の動きなど、新しい段階へと移行する兆候を見せ始めている。しかし、現在の貸本は、ほぼ通常の販売用の書籍・雑誌のみになっているため、著作権者側から目を付けられるようになった。2006年、貸本には著作権者が貸与権を行使して使用料を徴収するようになった。以後、漫画を中心に新しい動きが広がっている。・・・

(この項「Wikipedia」参照)

少、青年期の読書体験としてはずいぶんお世話になりました、感謝。感謝。 こうして昔ながらの文化も消滅していくのでしょうね。いや、新しい形態で継承されていくのでしょうか。


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