おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

京成高砂駅~京成金町駅。その7。地球釜。赤レンガの建物は。水戸街道新宿道標。

2020-07-13 19:40:35 | 沿線歩き

                       地球釜

この赤褐色の鉄の球体は「地球釜(通称)」と呼ばれる損紙を蒸して再生するための蒸釜です。
この地には、本区における近代工業の先駆けとなる工場である三菱製紙株式会社中川工場がありました。
日露戦争後、紙の需要が増加したことで、合資会社三菱製紙所は紙の大消費地である東京に注目しました。
工場建設の適地としては、本所方面への連絡が容易で、常磐線などの鉄道もあり、横浜方面と直接船で航行できる中川と江戸川に挟まれた、葛飾区新宿が選定されました。工場名を「三菱製紙所中川工場」と決めて、大正4年から建設を始めて大正6年に操業を開始しました。

創業当初に製造された製品には、煙草口紙用紙をはじめ、教科書用紙、模造紙などがあり、その後、大蔵省印刷局から受注した葉書用紙も重要な製品となりました。第二次世界大戦の戦時中には、写真印画紙用原紙(パラタイ紙)の製造をはじめ、軍関係の地図用紙等の抄紙や新紙幣の抄造と旧紙幣の処理なども行っていました。戦後、中川工場は、昭和21年4月に大蔵省から紙幣用紙抄造管理工場に指定され、戦争で被災した大蔵省印刷局王子工場が復興する昭和24年まで紙幣用紙の抄造を行いました。

損紙等をパルプにする作業に使われたのが、昭和20年から21年にかけて設置された球型の蒸し釜です。この蒸し釜は、地球釜とも呼ばれ、厚さ16mmの鉄板32枚を鋲で球体に仕上げたもので、最大内径4.27mの大きさです。釜の中に、損紙等(5t)と水(9,000g)を入れ、毎分1回転の速度で回転させながら蒸気を注入して蒸し、紙の繊維を解きながらほぐし再生原料として使用しました。
三菱製紙中川工場は、昭和22年のキャスリーン台風によって被害を受けましたが、その後、復興を遂げ、パラタイ紙やアート紙を量産し、新たにOA関連の感熱紙やインクジェット紙などの製造も手掛けるなどして操業を続けました。しかしながら、工場の移転が決まり、平成15年3月に86年余りの歴史に幕を下ろしました。

その後、UR都市機構が土地を取得し、隣接する三菱ガス化学株式会社の工場も含めた土地区画整理事業や道路等の基盤整備により、まちの骨格を整え、葛飾区、民間事業者とともに新しいまちづくりを進めてきました。

中川沿いには、三菱製紙中川工場をはじめとして、いくつかの製紙工場が建設され操業していました。現在では、製紙産業は姿を消してしまいましたが、この地球釜は、本区の近代産業の幕開けの地であることと、かつての製紙産業を記念するモニュメントとして貴重な近代遺産であります。

 

広場を進むと、遠くに。

        

「地球釜」。

               

                                                    

2012年3月頃のようす。

大きな鉄製の球体。あちこち移動しながらやっと落ち着く先を見出したようです。
大きな公園の水辺のところに安置される予定。

2009年4月のころの地球釜。更地にポツンと取り残されていました。

その頃、線路沿いに赤レンガの建物が二棟が残っていました。

  

この建物はその後、どうなったのでしょうか? 今回もあったところに行きましたが、マンションの工事中で確認できず。

近づくと、かなり存在感あり。

水面に映る「地球釜」。

自然の雰囲気がよし。

東側を望む。

せせらぎにモニュメント。

「地球釜」が向こうに。

      校舎。

戻ります。振り返る。

そのまま南に下ると、「大堰枠」という交差点が残っています。上流の小合溜から「東用水」と「小岩用水」の水路との分岐点。

かつての「東用水」跡の通りを新宿方向へ。新金貨物線の踏切。以前は、鉄橋になっていました。

        

2009年頃のようす。鉄橋です。下は埋め立てられた「東用水」。

「三重田街道」の由来は不明。

「水戸街道・新宿」方向。「水戸街道」時代の時と同じように鈎型の道が残っています。

この道が「現・水戸街道(国道6号線)」と接するところに道標。周辺の再開発で撤去されていたものが以前の場所に戻ったようです。この道標は、「水戸街道」から分岐する「佐倉街道」へ(成田山、千葉寺を示す)の道標。

「水戸街道石橋供養道標」

この道標は、水戸道と佐倉道の分岐点に、地元の万人講・不動講・女中講が共同で架橋した27の石橋供養のために建てたものです。

 

 

              

 多くの石橋を架けた功徳を偲んで建てた供養の碑を兼ねています。

右 なりたちば寺道 
左 水戸街道 

 
左)安永六丁酉年八月吉日 石橋供養石

右)成田山 さくらミち
  万人□、不動□、女中□

裏)安永二年巳ノ十月廿三日ゟ同酉ノ十一月廿三日まで石橋廿七ヶ所建立仕候為供養尊像辻石立置申候               

正面奥の道が「佐倉街道」。

「佐倉街道」歩きは、以前、ここから佐倉、成田、そして佐原まで完歩しました。


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