小岩市川の渡し跡・小岩市川関所跡
江戸時代の初め、両国から竪川の北岸を東にすすみ、逆井(さかさい)の渡しで中川(旧中川)をわたり、小岩で現在の江戸川をわたって房総へ向かう道がひらかれました。「元佐倉道」とよばれ、明治8年(1875)に千葉街道と改称されています。江戸時代に作られた『水戸佐倉道分間延絵図』には「元佐倉通り逆井道、江戸両国橋え道法三里」と記されています。
江戸から佐倉へ向かう道筋には、千住から新宿(葛飾区)に至って水戸街道から分かれ、小岩に至る佐倉道があり、江戸時代にはこちらが街道として利用されていました。
江戸を守るために江戸川には橋が架けられませんでした。小岩市川の渡しの小岩側に小岩市川関所がおかれていました。『新編武蔵風土記稿』の伊与田村の項に「対岸は下総国葛飾郡市川村なれば、小岩市川御番所という」とあります。これは幕府の設けた関所のひとつで、常時4人の番士が配属されていました。上流の金町松戸関所とともに、江戸の出入りを監視する東の関門でした。戊辰戦争では、ここも戦場になっています。明治2年に廃止されました。
1880年代のようす。↓が渡し場。
2010年代のようす。対岸に旧道の痕跡あり。
そこから土手下を振り返る。
対岸を望む。
京成電車の鉄橋。
鉄橋の向こうにある「小岩菖蒲園」へ。
江戸川河川敷に広がる小岩菖蒲園は、地元の方から寄贈された花菖蒲をもとに、区が回遊式の庭園にしたものです。約4,900平方メートルの菖蒲田には5月から6月に約50,000本の花菖蒲が咲き誇り、都会のオアシスとして都内名所の一つになっています。菖蒲田周辺にはさまざまな野草がみられます。(「江戸川区」HPより)
解説板。
訪問したときは、まもなく満開を迎える頃でした。
三々五々、見物の人々が。
京成線鉄橋の北側に広がる。
対岸(国府台)には、「和洋女子大」。
周囲には、紫陽花が植えられ、目を楽しませてくれます。
小さいながらも草原もあってちょうどいい遊び場、休憩場所に。
無料駐車場が完備。
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