これから上流を目指して歩き始めます。「海まで44㎞」ポスト。
「上江橋」をくぐります。関東をぐるりと回る幹線道路の「国道16号線」にここでお目にかかりました。
右下は指扇の街並み。畑もあってのどかな風景。
横堤。
周囲に田畑が広がる農道を進みます。
その先に「開平橋」。
橋の下は、すぐ荒川の流れ。
「手打うどん 川岸屋」の看板と向こうにお店。
1年前に廃業したようです。自販機も撤去されています。
「開平橋」。ここには「平方河岸」がありました。
「西野(にしや・にしの)橋」。荒川本流上に架かる冠水橋(潜水橋)。
※「冠水橋」=洪水時には橋面が水面下になる橋をいう。「沈下橋」。 この先、上流にいくつか架橋されている。
集落を抜けて再び土手に。その先に四阿(「アッピーお休み処」)。
階段を下りて左手へ。
広々とした牧草地。
軽飛行機が大空を。この先、対岸にある「ホンダ エアポート」から飛び立った飛行機か?
「畔吉(あぜよし)の渡場跡」解説板。
川べりの草原。
この先には、牧場が。
「榎本牧場」。牛がのんびりと。
この先ものんびりと歩きます。
左折すると、冠水橋の「樋詰(ひのつめ)橋」に。
荒川の増水時は欄干が撤去され、通行止めとなることがあります。欄干の着脱は管理要員として年間委託された近隣住民が行なっているようです。
対岸の「ホンダエアポート」。
遠くに「太郎右衛門橋」。
太郎右衛門橋
この場所には橋ができる前には私設の渡し場があり、その運営者の名前が後の木製の橋(板橋)の名前となった。
かつて「荒川」には木製の冠水橋がたくさん架かっていました。現存する冠水橋は、少なくなりましたが。
行く手に「圏央道」の橋脚が見えてきます。
その手前、右手が「原山古墳群」。
駐車場には車がいっぱい、移動販売車もいくつか。賑やかな雰囲気に。「城ヶ谷堤(桜土手)」に。
サクラの下にレジャーシートを敷き、飲食を楽しむ。
「横田薬師堂」脇から再び河川敷へ。
続いて「荒井橋」にさしかかります。
「荒井橋」際にある「土地改良記念碑」。右手には、昭和15年(1940)に建てられた「荒井橋記念碑」がある。
「北本水辺プラザ」。下流方向。
上流方向。
高尾橋。幅員1.9m。
荒川は昔、旧高尾村(現北本市高尾地区)の西にある「旧荒川」の流路が本流だった。蛇行していた部分で、氾濫を繰り返していたため、昭和初期に行われた荒川の河川改修による流路変更によって直線化された捷水路に付け替えられたことにより、荒川に分断された高尾地区の旧荒川との間に取り残された農耕地を結ぶ橋である。
「御成橋」に向かって進みます。
広大な農地。
荒川河川敷へのゴミの不法投棄防止と「花のまちこうのす」をアピールする事を目的として、約125,000平方メートルの敷地に約3,000万本が栽培されている日本一広いポピー畑。
花の見頃となる5月には、市内外から多くの方が訪れる花の名所となっている。
左折すると、冠水橋の「原馬室(はらまむろ)橋」。
2001(平成13)年9月の台風で先代の橋が流出し、2002(平成14)年に復旧。上流側に大きな鋼製の流木よけがある。荒川右岸側の比企郡吉見町蓮沼新田と左岸側の鴻巣市原馬室とを結ぶ。
「川歩き」はここまで。JR「鴻巣駅」を目指します。
「御成橋」。
徳川家康が当地へたびたび鷹狩りに訪れ、荒川を渡る際に渡船場に臨時に設けられた舟橋に付けられた名前に因む。近くの鴻巣宿には、徳川家ゆかりの寺院である勝願寺がある。
「川幅日本一」の標。「2537m 荒川」。
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