国道沿いですが、落ち着いた街並み。
「大月市酪農組合 花咲集乳所」。
(10:24)「花咲下宿」バス停。
右手を見ると、「オトリ鮎」の看板。ちょっとのぞいてみました。
オトリの鮎。
「ガスト」の先に見えてきたのが、本陣「星野家」の豪壮な建物。
(10:29)期待して近づきましたが、閉館中です。残念!
「明治天皇花咲御小休止所跡」碑。
隣に「本陣」跡碑。
そこで、本陣・星野家の解説文を拝借。
星野家は、甲州街道・大月宿の西隣にある花咲宿の名主を務めていた旧家です。
下花咲宿の本陣であり、幕末には薬の商いも行っていたほか、農地解放前には25町歩ほどの田畑を所有し、養蚕では百貫ほどの収穫があったと伝えられています。
江戸時代には、甲州勤番をはじめ大名や幕府の役人らが宿泊しましたが、天保六年(1835)の火災で焼失し、その後、再建されました。
再建の年月を示す資料は未発見ですが、嘉永5年(1852)に記された家相図によると、間取りと規模が現在の母屋と一致しており、天保末からこの間にかけて再建されたと考えられています。
現在の母屋は、焼失以前のものと比べると、規模は小さくなりましたが、間取りと部屋数は変えず、街道により近づけて建てられました。
明治13年(1880)6月18日には、明治天皇が京都へ御巡幸の際に御小休所にあてられました。
江戸時代から続く壮厳なたたずまいは、由緒ある歴史を今に伝えています。
星野家住宅 附家相図一枚
●主屋一棟 居室部及び座敷部
●籾蔵及び味噌蔵
●文庫蔵一棟 土蔵造
富士納豆製造所の商品は、星野家住宅敷地内に星野家に隣接したところで作られています。
(以上、HPより)
(10:33)「東京から96㎞」ポスト。
「中央道」大月インター入口。
「笹子川」に架かる「西方寺橋」を渡り、左折して行くのが旧道?
この道は、かつて地域興しのイベントとして行っていた「JR・甲州古道ウォーキング」シリーズのうち「大月駅→初狩駅」掲載の「古道」です。
大月JCTの真下を進み、前沢橋から善福寺、真木諏訪神社を経由して、「初月橋」で国道20号線に合流するコース。 ただ、古地図では確認できず。
結局、現甲州街道「国道20号線」を行くことにします。
国道を歩くよりは、と「笹子川」の土手を歩いてみました。鮎釣りらしい方の姿も。
国道に戻り、しばらく進んだ右手の坂に「二十三夜塔」、その左手奥には古仏群。現国道改修工事の際に移動したようです。
「中央道」大月JCTから分かれて河口湖に向かう高速の下をくぐります。
(10:53)「東京から97㎞」ポスト。
右手奥の高台に「日本電気」の工場。
左手はJR線。右手は田園風景。
上下線で電車が通過中。
「笹子川」に架かる「真木橋」を渡ります。
「真木」の集落を進み、しばらく行き、左にカーブするところに「いなだや食堂」があります。そこで、昼食休憩。
お店に入ると、総出でおにぎりづくり中。「田植えのイベントで来ている人達のお昼ですよ。この先の田んぼでやっています。東京からも来ていますよ。」
(11:37)さて、再開。
国道をしばらく進むと、左手に「源氏橋」。この橋を渡ると、途中で崩壊してしまった先ほどの旧道にぶつかります。
橋の右手下にはさっき「いなだや」さんで話に聞いた「田植え」風景。けっこうな人数です。
江戸時代の甲州街道は「大月警察署」の先から、JR線の南側、「笹子川」右岸に沿って進んでいて、その道が明治になって旧国道として存在していました(「今昔マップ」で確認できます)が、現国道ができて廃道、いつしか失われてしまったようです。
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