おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

駒橋宿~大月宿~花咲宿~初狩宿~白野宿~阿弥陀海道宿~黒野田宿。その3。(「甲州街道」をゆく。第6日目)

2017-06-16 21:42:02 | 甲州街道

国道沿いですが、落ち着いた街並み。


                   

「大月市酪農組合 花咲集乳所」。

(10:24)「花咲下宿」バス停。

右手を見ると、「オトリ鮎」の看板。ちょっとのぞいてみました。


          オトリの鮎。


「ガスト」の先に見えてきたのが、本陣「星野家」の豪壮な建物。


       
         (10:29)期待して近づきましたが、閉館中です。残念!

「明治天皇花咲御小休止所跡」碑。

隣に「本陣」跡碑。

そこで、本陣・星野家の解説文を拝借。

 星野家は、甲州街道・大月宿の西隣にある花咲宿の名主を務めていた旧家です。
 下花咲宿の本陣であり、幕末には薬の商いも行っていたほか、農地解放前には25町歩ほどの田畑を所有し、養蚕では百貫ほどの収穫があったと伝えられています。
 江戸時代には、甲州勤番をはじめ大名や幕府の役人らが宿泊しましたが、天保六年(1835)の火災で焼失し、その後、再建されました。
 再建の年月を示す資料は未発見ですが、嘉永5年(1852)に記された家相図によると、間取りと規模が現在の母屋と一致しており、天保末からこの間にかけて再建されたと考えられています。
 現在の母屋は、焼失以前のものと比べると、規模は小さくなりましたが、間取りと部屋数は変えず、街道により近づけて建てられました。
 明治13年(1880)6月18日には、明治天皇が京都へ御巡幸の際に御小休所にあてられました。
 江戸時代から続く壮厳なたたずまいは、由緒ある歴史を今に伝えています。

 星野家住宅 附家相図一枚
 ●主屋一棟 居室部及び座敷部
 ●籾蔵及び味噌蔵
 ●文庫蔵一棟 土蔵造


富士納豆製造所の商品は、星野家住宅敷地内に星野家に隣接したところで作られています。

(以上、HPより)



             

(10:33)「東京から96㎞」ポスト。

「中央道」大月インター入口。

「笹子川」に架かる「西方寺橋」を渡り、左折して行くのが旧道?


 この道は、かつて地域興しのイベントとして行っていた「JR・甲州古道ウォーキング」シリーズのうち「大月駅→初狩駅」掲載の「古道」です。
 大月JCTの真下を進み、前沢橋から善福寺、真木諏訪神社を経由して、「初月橋」で国道20号線に合流するコース。 ただ、古地図では確認できず。
 結局、現甲州街道「国道20号線」を行くことにします。

 国道を歩くよりは、と「笹子川」の土手を歩いてみました。鮎釣りらしい方の姿も。


               

 国道に戻り、しばらく進んだ右手の坂に「二十三夜塔」、その左手奥には古仏群。現国道改修工事の際に移動したようです。
 

                               


「中央道」大月JCTから分かれて河口湖に向かう高速の下をくぐります。

(10:53)「東京から97㎞」ポスト。

右手奥の高台に「日本電気」の工場。

左手はJR線。右手は田園風景。


           

                    

上下線で電車が通過中。


               

「笹子川」に架かる「真木橋」を渡ります。

「真木」の集落を進み、しばらく行き、左にカーブするところに「いなだや食堂」があります。そこで、昼食休憩。


お店に入ると、総出でおにぎりづくり中。「田植えのイベントで来ている人達のお昼ですよ。この先の田んぼでやっています。東京からも来ていますよ。」

(11:37)さて、再開。

国道をしばらく進むと、左手に「源氏橋」。この橋を渡ると、途中で崩壊してしまった先ほどの旧道にぶつかります。


              

橋の右手下にはさっき「いなだや」さんで話に聞いた「田植え」風景。けっこうな人数です。


 江戸時代の甲州街道は「大月警察署」の先から、JR線の南側、「笹子川」右岸に沿って進んでいて、その道が明治になって旧国道として存在していました(「今昔マップ」で確認できます)が、現国道ができて廃道、いつしか失われてしまったようです。

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