おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

20 鉄橋除去工事

2009-04-08 22:38:48 | 鉄道遺跡
 現在の水元公園(小合溜)からの農業用水の流れ。1947(昭和22)年9月、キャサリン台風の時にこの用水の源であった小合溜(桜堤)付近が決壊して高砂、小岩、さらに南へと大きな被害をもたらしましたことがあります。
 この用水は、西南に流れていき、現在の「大堰枠」という信号付近で小岩への水路を分岐し、中川の左岸沿いに流れていき、現在の中川と荒川との合流点辺りまで通じていました。かつてこの地域に広がっていた田畑を潤す、重要な水資源としての役割を果たしていたわけです。田んぼの中の水路は、行く先々で分岐し、南下していきました。
 その基幹水路(?)だったものが、現在、大きな立派な道路に変貌しています。途中、金町から新小岩へ向かう貨物線(新金貨物線・現在も使われています。)を越えます。
 もうすっかり川は埋め立てられていて、そこにかかる鉄橋の除去工事が行われています。ここからしばらくの区間(数百㍍ほど)がでこぼこ道。川もまだ埋め立てられたままで、雑草が生え、道にはなっていない状態。たまたま自転車で通りかかった近所の二人連れ、「なんでここだけこうなのかしら」とつぶやきながら、通り過ぎていきます。
 写真は、そのようす。除去した後は、踏切にするのでしょうか。陸橋にでもするのでしょうか。けっこう期間が長く続いている工事のようです。めったに目にするシーンではないので、パチリ!(携帯電話でですが)。
 もともとこの路線。単線ですが、複線化する構想があったのでしょう、鉄橋なども線路こそないものの、複線対応。そのために、この工事現場でも、コンクリートの土台を壊したりなにやらで、思いの外、時間がかかっているのかもしれません。
 車道になった道はさらに南下し、二手に分かれます。新しい舗装道路は、西に向かって中川橋を越え、環七へ通じる走りやすい道(旧水戸街道と重なるかたち)と合流します。もう一つは、水戸街道(国道6号線)に通じています。水戸街道の先も舗装された広い道路となって、用水路としての姿・形はすっかりなくなっています(これは、旧佐倉街道と一部が重なっていきます。)こうしてその先、以前の水路は、新中川ができた時、その流れに吸収されてしまったようです。
 葛飾区内では、今、道路となっているものの中には、もともと下町の近郊農業を支えた、農業用水路であったものが多いのです。碁盤の目のように区画された流水地域には、すっかり田んぼも畑もなくなって、住宅地になってしまっています。まさに歴史に埋もれるものたちと言ってもよいでしょう。
 

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