おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

三浦半島「小網代(こあじろ)の森」。その1。京急三崎マグ口駅。富士山。アガパンサス。ブーゲンビリア。赤坂遺跡。三浦の歴史。広大な農地。

2022-07-05 20:19:41 | 三崎口

                       京急「三崎口駅」。

 「三崎マグロ駅」となっています。※カタカナの「ロ」と漢字の「口」(PCでは同じに見えてしまう!? )。

7月4日(月)曇り。時々雨。

前々から行って見ようと思っていた「小網代の森」へ。

京成「青砥駅」始発の電車に乗って、終点の「三崎(まぐ)口駅」まで。始発駅から終点駅まで往復するのは、まず経験なし。

片道約1時間50分。

京成線、都営地下鉄、京急と進むうち、乗るお客さんは、入れ替わり立ち替わり。結局、小生一人だけが始発から終点まで乗りました。帰りも同じ。

※京急品川駅から「みさきまぐろきっぷ」だと往復の電車賃のほか、バス乗り放題、まぐろ料理、施設利用、お土産付き・・・で、3,570円。

以前、中学校のジジババと、この切符を利用し、来たことがあります。

城ヶ島まで足を伸ばし、けっこう楽しめました。

その時の写真。  

            「馬の背洞門」

・・・

今回のコース。↓のコースを歩きました。標高60mから1mへ、そこから70mまで上がり、再び駅へ。普通は、往復バスですが。約2時間半。

行きはともかく、帰りはバスがオススメです。

      

さて、

駅横の「えきめん茶屋 三崎口店」(女性一人で切り盛りしているようで、普通のおそば屋さんと同じくらい時間がかかります)で「海鮮かき揚げそば」(美味しい)を食べ、午後1時少し前に小雨がぱらつく中、歩き始めます。

相模湾越しにかすむ富士山。

アガパンサス。

アガパンサスはさわやかな涼感のある花を多数咲かせ、立ち姿が優雅で美しく、厚みのある革質の葉が茂る様子には力強さも感じられます。南アフリカに10~20種ほどの原種が自生し、交配などにより300以上の園芸品種が育成されています。性質が強く、植えっぱなしでほとんど手がかからないので、公園などの花壇やコンテナの植え込みに利用され、また切り花としてフラワーアレンジメントにも使われています。(NHK「みんなの趣味の園芸」HPより)

※英名では「アフリカンリリー」と呼ばれ、和名では「紫君子蘭」と呼ばれているそうです。

これは、ブーゲンビリア。

原産地は中央アメリカ及び南アメリカの熱帯雨林。ブーゲンビリアという名前は1768年ブラジルで木を見つけたフランス人の探検家ブーガンヴィルに由来する。花の色は赤から白まで変化に富み、ピンクやマゼンタ、紫、橙、黄のものもあるように見える。しかし、実際の花はいわゆる花の中央部にある小さな3つの白い部分である。色づいた花びらに見える部分は花を取り巻く葉(包葉であり、通常3枚もしくは6枚ある。俗に魂の花とも呼ばれている。(「Wikipedia」より)

途中右手の小高い丘に。「国史跡 赤坂遺跡」碑。

弥生時代中期後半から後期にかけての集落遺跡三浦半島南部、京急三崎口駅から350メートルほど南にある標高約50メートルの台地上に広がっている。国の史跡に指定された範囲は約4700平方メートルだが、その周囲を含めた実際の遺跡の範囲はおよそ70000平方メートルを測る

・・・一連の発掘調査により、検出された竪穴住居は130軒以上を数え、15.0メートル×12.2メートルの巨大住居跡など、長辺が10メートルを超える住居跡が4軒検出された。また、出土した遺物は弥生土器のほか、青銅製品(銅釧・銅環・銅鏃など)、鉄製品(鉄製釣針・鉄斧など)、装身具類(ガラス小玉など)、石器(蛤刃石斧など)、有機質遺物(炭化米・クルミ・モモなど)、獣骨(シカ・イノシシなど)、骨角器( 鹿角製など)、貝類(サザエ、バテイラ、アワビなど)、貝製品(ベンケイガイの製貝輪)などが豊富に出土した。他に住居内に貝層貝塚)を伴う竪穴住居が発見されている。これらの成果により当遺跡は、弥生時代中期後半~後期にかけての三浦半島において、漁撈活動や海を利用した遠隔地との海上交流などで拠点的な役割を果たした大集落であることが判明した

遺跡の中心部分となる約4700平方メートルの範囲は、2011年(平成23年)3月8日に国の史跡に指定された。また1992年(平成4年)の第8次調査での出土品は、2017年(平成29年)1月10日に三浦市指定有形文化財に指定された。出土品は、初声市民センター内の赤坂弥生学習室にて保管・展示されている。(「Wikipedia」より)

三浦半島一帯は、古い歴史を有するところですね。

中世封建時代まで溯る三浦一族興亡の系譜は、約450年の栄華と盛衰の三浦の歴史に他なりません。
 源氏、北条氏そして足利氏と、鎌倉時代の全盛期、そして室町時代の滅亡に至るまでの一族の活躍と悲哀の物語は、武門の誇りと執念とが交錯した壮大なドラマです。
 三浦一族終焉の地となった油壷、新井城での北条早雲との壮絶な攻防は3年にもおよび三浦道寸、荒次郎親子の豪勇振りや、落城の際、道寸と将校のほとんどが油壷湾に朽ち落ちたとされる悲話は、今も波静かな入江の佇まいの中にその面影を忍ばせています。

(この項、「三浦市」HPより)

        広大な農地。

   見渡す限り広がる。

なかなか目的地に着きません。

※今日は、台風の影響で、南も北も大荒れの天気。東京は何とか。しかし、明日は雨のようです。


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