おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

左内坂。中根坂。浄瑠璃坂。芥坂。・・・(市ヶ谷駅から飯田橋駅まで。その1。)

2015-06-19 22:06:59 | 都内の坂めぐり

 6月6日(土)。午後2時頃から4時頃。JR「市ヶ谷」駅で下車して、「左内坂」から。・・・上がったり、下ったりで「神楽坂」まで。新宿区のエリアですが、町の名称も由緒あるものが入り組んで存在している町並み。前回の六本木付近に比べて、昔ながらの坂道が続きます。
 「市ヶ谷橋 」を渡って、まずは案内図で確認。ここは、一部を除いて標識が建っています。

「左内坂」。「外堀通り」を渡ったところにある。

    

左内坂(さないざか)
 この坂は江戸時代初期に周辺の土地とともに開発されたもので、開発名主島田左内の名に因み左内坂と呼ばれるようになった。島田家はその後明治時代まで名主をつとめ、代々島田左内を名乗ったという。

けっこう長くて急坂。

市ヶ谷駅方向に向かう道として人通りもあり、両側には商店も並んでいますが、段違いに斜めに。激しい雨とか雪の時には、下るのに足もとが心配なほどの急坂。下っていく車の姿もすぐに見えなくなるほど。

その坂をあえぎあえぎ上ると、左手が自衛隊の広大な敷地。
                                                 正面を右折します。

    

 左手が「日本学生支援機構」。もとは、「日本育英会」。学生時代、大変お世話になりました。ここの坂が、「安藤坂」?

 その先は「大日本印刷」の大がかりな建設工事が盛んに行われていて、道の様子も広くなるなど、まだ建物が立ち上がっていないせいなのか、明るく広々とした雰囲気に。

           「中根坂」にさしかかる。

上り詰めたところにある標識。    

中根坂(なかねざか)
 昔、この坂道の西側に幕府の旗本中根家の屋敷があったので、人々がいつの間にか中根坂と呼ぶようになった。

 「安藤坂」から緩やかに下って、また上りになる坂道です。周囲は、「大日本印刷」関連の施設が並びます。再び下って十字路を左に曲がって、広い道を「外堀通り」方向に緩やかに下って行きます。途中、右斜めに上る坂があります。「長延寺坂」。

    

長延寺坂(ちょうえんじざか)
 昔、この坂の上に長延寺という寺があった。そこに参詣する人々がこの坂を通ったことから自然にそうよばれるようになったという。

    坂上から望む。

 いったん「外堀通り」出て、その先、左手の坂道を上ります。「浄瑠璃坂」。

浄瑠璃坂(じょうるりざか)
 坂名の由来については、昔、この坂で「あやつり浄瑠璃」の小屋興行を行ったから。近くに光円寺があり、その本尊の薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主であるからなどの諸説がある。

 この坂もけっこう長い坂。

    
 坂の途中から坂下方向を望む。                  坂上から望む。

 突き当たりをすぐ左折すると、西南に向かう坂道があります。「芥坂(ごみざか)」

「芥坂」の歩道橋付近から振り返る。

「歩道橋」に「ごみ坂」とある。

 今でこそ歩道橋によって南側の通りと結んでいますが、もともとは、そうとうな急坂だったような。崖の上から下へまさにゴミ捨て場のようになっていたのでは。その名のように、歩道橋下はかなり低くなっています。

    

                  





                  1880年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。

 現在の自衛隊の敷地は「陸軍士官学校」でした。坂の名前も「左内坂」「安藤坂」「中根坂」「芥坂」等が記されています。また、「長延寺」の名も。坂道に関してはほとんど現状と変化がないのも驚くほどです。

 

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