おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

日本製紙引き込み線(北王子線)跡。その1。(JR東十条駅下車。その4。)

2014-06-29 09:15:13 | 鉄道遺跡

北王子線

 東京都北区田端信号場駅と同区の北王子駅(貨物駅)を結ぶ日本貨物鉄道(JR貨物)の鉄道路線(貨物線)。かつては、途中から貨物線の須賀線(すかせん)が分岐していた。

 今年3月、現役だった日本製紙(旧王子製紙・十條製紙)への引き込み線(北王子支線)が廃線になりました。
 赤羽駅南口方面から明治通りへ出るとき、この線の踏切を通過していく道路が早道でした。夜、一時停止の標識があるので、いったん停まって一応左右を確認し、踏切を越えて行く。昼間でも一度も貨物列車に遭遇したことはありませんでした。一回くらい通過を見届けたかったものです。
 いよいよ廃線が決まり、旧踏切も線路側の方が封鎖、一時停止しなくても進めますが、つい長年の癖でちょっと停止して、ああ、停まらなくていいのか、と進むこともたまにあります。


東北線 田端信号場~北王子間の列車運行終了について
 平成26年3月12日 日本貨物鉄道株式会社

 当社の第1種鉄道事業線区であります東北線 田端信号場~北王子間(通称「北王子支線」、以下同じ)につきましては、昭和62年4月の当社発足以降、主に、仙石線石巻港駅・東北線岩沼駅から北王子駅接続の日本製紙㈱専用線に納入する紙製品の輸送のため、列車を運行していました。
 しかし今般、お客様である日本製紙㈱様から、平成26年3月限りで北王子駅専用線での貨物取扱いを終了する意向が示されたことから、同線における貨物列車の運行を終了することとしました。
 なお「北王子支線」については、他の需要も見込めないことから、北王子駅を廃止し、同線の第1種鉄道事業についても、国土交通省に対し廃止を届け出る予定となっています。


 廃線後、この敷地をどう再活用するのか? 緑道公園風にしてくれればいいなと思います。
 そこで、廃線後のようすを探索しに行きました。最寄り駅はJR東十条駅。そこで下車し、王子、上中里までの行程です。


1970年頃のようす
(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。
 右側・中央部全体が工場の敷地だった。東側はすでに王子5丁目団地等の建設が始まっている。西側が日本製紙物流部門として残り、北王子支線・「北王子駅」があった。

敷地の北のはずれ、王子5丁目団地西側のところにある「産業考古学探索路」案内。赤い←が案内板の位置。
 ただし、案内図は、上がほぼ南になっているので、南北の方角を正しくすると


 

 旧王子製紙株式会社十條工場
 明治維新直後に需要が高まった西洋史を日本国内で自給することを目的として、明治6年に抄紙会社が設立されました。
 旧王子製紙株式会社はこの会社の後身で、本社は現在のJR王子駅の前にありました。かつてこのあたりにあった「十條工場」は印刷局に葉書の用紙を供給するため明治43年に設立されたものです。・・・
 太平洋戦争後の財閥解体に伴い、この工場は十條製紙(現日本製紙)となり、その後、昭和51年に現在の公団住宅団地へと姿を変えました。


1880年代のようす(「同」より)。→に「抄紙部」とあり、これが上にある明治6年創設の「抄紙会社」のこと。現在のJR王子駅前に当たる。蛇行している川は、「石神井川」。








(「今昔マップ」より)
 ①「抄紙部分工場」時代 ②「王子製紙」時代 ③「十條製紙」時代 ④現在。左の↓。
注:↓は「甚兵衛堀」。



現在は、「日本製紙物流株式会社」と「エヌビー運輸株式会社」となっている。  

 なお、この「産業考古学探索路」や上の地図にもあるように、「抄紙部分工場・王子製紙十條工場」につながっていた水路が「甚兵衛堀」。この堀のことは、また別の機会に(「北本通り」沿いに「案内板」あり)。

案内板付近から見た敷地内。

敷地の北側のところから道路を望む。

西側に接する道は「桜田通り」。

  
 構内のようす。かつての車両がそのまま残っている。

フェンスにはこんな句が。「花咲けば十条倉庫の汽車ぽっぽ」。地元の人に密着していた証拠?



かなり広くて長い構内ホーム。

すっかり雑草に覆われた線路。

構内引き込み線入口から北を望む。右が積み卸しホーム。

王子駅方向を望む。

踏切施設はまだそのまま。

 警告の看板などもすっかりさび付いたまま。
「線路内に物を投げ入れたり、柵に物を掛けないで下さい」

 
 振り返ると、・・・。

須賀線との分岐点。須賀線の跡は公園になっている。

須賀線は右にカーブしながら北本通りを越えて豊島5丁目団地方向に進んでいた。現在は、道路になっている。



合流方向を振り返る。右の公園がかつての須賀線跡。


1970年頃のようす(「同」より)。すでに「須賀線」は廃止になっている。○が分岐点。

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