おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

荒川河口~四つ木橋。(「荒川」を遡る。総集編。その1。)

2021-06-28 20:46:59 | 荒川を遡る

               (「歴史的農業環境システム」より)中央先端部分が「0㎞」標。

「荒川」を遡る旅も秩父鉄道「三峰口」駅までたどり着きました。そこで、総集編として河口からの荒川の流れをたどってみます。

 

「0㎞」標。河口。上流を望む。橋の向こう遠くに、スカイツリー。
 
左奥に「葛西臨海公園」の観覧車。
大きな「テトラポット」
案内板。

サイクリングロード。首都高下。右が中川。
「清砂大橋」。

荒川の対岸。正面に旧中川と荒川を結ぶ「荒川ロックゲート」。

荒川河川敷の水辺公園。橋脚は、都営新宿線。

荒川河口より4.8㎞(江戸川区松島2丁目)、小松川大橋の北側、サイクリングロード沿いの「案内板」。その中に、
 
「旧千葉街道と行徳街道」
 現在、江戸川区北部を横切る旧千葉街道は、明治8(1875)年に千葉街道と改称されるまでは、元佐倉道と呼ばれていました。現在の小松川大橋と中堤の接点付近で、行徳街道と十字に交差し、そこは四股(よつまた)と呼ばれて交通の要所であり、生活の中心地でもありました。しかし、四股とその周辺の地域は大正2(1913)年に荒川放水路の開削により水没しました。四股近くの行徳街道には橋が架けられていましたが、この橋の一部は2つの道標とともに現在も保存されています。

とあります。


1880年代のようす。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)
 まだ荒川放水路(荒川)が開削されていなかった当時の地図。中央に「四股」。現在の小松川大橋の北、荒川と中川との中堤に位置する。南西から北東に進むのが「元佐倉道」(千葉街道)。北西から南東に向かうのが「行徳道」(今井街道)。元佐倉道(旧千葉街道)は、南西に進むと両国、東北に進むと市川へ。行徳道(今井街道)は、北西に進むと浅草、南東に進むと行徳へ。ちょうど「四股」はそれぞれへのほぼ同じくらいの距離に位置していたようです。地図の右(東)に流れる川は、小松川境川(現在は親水公園)。

高速道路下、正面の草地あたりがかつての「四股」付近。

 「荒川」に架かる橋ではありませんが、1987(昭和62)年9月に開通した「葛飾ハープ橋」。

「首都高中央環状線」上の橋です。綾瀬川と中川の合流地点にあります。
 「葛飾観光サイト」などの紹介では、世界初の曲線斜張橋。その曲線はS字を描き、路面には勾配もあるため、複雑な立体構造をしていて、2本の主塔は高さがそれぞれ65m、29mと異なるという特殊な設計の橋になっています。その曲線と48本のワイヤーが織り成す姿は美しく、楽器のハープに見立てて公募によりその名がつけられた、とか。
南側から北を望む。

左が綾瀬川、右が中川。

「中央環状線」。この先、綾瀬川左岸沿いに北上します。

夕日を浴びるハープ橋。

 夜のライトアップもすばらしい。

「葛飾区観光サイト “かつしかまるごとガイド”」掲載の写真をちょっと拝借。


首都高・四つ木出入口付近。

荒川から引き込まれた池。淀んでいますが、小さな魚などの姿も。

「木根川橋」の文字。「Googleマップ」を意識しているのでしょうか。


下流方向。

木根川橋   歌:さだまさし. 作詞:さだまさし. 作曲:さだまさし.
『先生、俺達の木造校舎すっかりなくなっちまったんですねェそれに、あの暑い夏に重いローラー転がしてならしたテニス・コートの上にプールなんか出来ちまって… 先生、時の流れって、そんなもん ...』
さだ まさしさんは、葛飾区立中川中学校出身。

この付近、荒川には三本橋が架かっています。下流から「木根川橋」、「新四つ木橋」、「四つ木橋(四つ木小橋)」。しかし、歴史的には変遷がありました。

 荒川放水路(現:荒川)開削前は、綾瀬川と曳舟川通りが交差する所に木ノ下橋が架かっていた(現在は新四ツ木橋が架かっている)。 
 1922年(大正11年)6月30日、荒川放水路開削に伴い橋長451メートル、幅員5.5メートルのRC(鉄筋コンクリート)橋脚を持つ木製の方杖桁橋の四ツ木橋(旧橋)が架橋された。また、綾瀬川には1921年(大正10年)11月30日開通した橋長53メートル、幅員5.5メートルのRC(鉄筋コンクリート)橋脚を持つ木桁橋の四ツ木小橋が架けられていた。位置は現在の国道6号ではなく、約500 m下流の京成押上線荒川橋梁のすぐ下流側、東京都道465号深川吾嬬町線の延長上にあった。木橋ながら戦車を通すこともできた。 
 1969年(昭和44年)12月、木製の旧四ツ木橋が解体され、代わりに旧四ツ木橋の約100 m下流に木根川橋が橋長539.6メートル、幅員10.5メートル(車道6.5メートル、歩道2メートル×2)の7径間下路式平行弦ワーレントラス橋で架橋された。右岸側にある旧四ツ木橋の取り付け道路は残され、木根川橋へクランク状に接続されている。なお、木根川橋の工事名は四ツ木橋であった。また竣工は1969年(昭和44年)2月であった。
  現在の国道6号上に近代的な橋をかける計画があり、戦後、1950年に工事が再開、1952年(昭和27年)7月に完工、7月30日に永久橋が開通した。これが現在の四ツ木橋である。東向島広小路止まりだった都電も、この橋を渡って路線延長される計画が存在した(着工せず、廃線)。 
 開通時は旧橋も存在していたため、新四ツ木橋と呼んでいた。 
 その後、新四ツ木橋周辺の慢性的な交通渋滞対策として1973年(昭和48年)4月5日、新たな橋が約200メートル離れた曳舟川通り沿いに架橋された。この時、既に木製の四ツ木橋は撤去された後であったこともあり、橋は「新四ツ木橋」と呼ばれ、一方1952年(昭和27年)製の新四ツ木橋の名称が「四ツ木橋」になった。 

                     2010年代のようす。

上流から「四つ木橋」、「新四つ木橋」、京成線橋梁、「木根川橋」。右端に「葛飾ハープ橋」。


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