ぽかぽか陽気に誘われて、自転車で、ご近所巡り。最近凝っているもの。携帯写真。気が向いたらパチリ!さらに、古い道や線路跡探し、などなど。このへんがそうかな?そこで、パチリ!でも、瞬間で撮らないと盗撮と疑われそう。さっと撮ってパッとしまう。それには、携帯が便利というわけです。
デジカメでもいいのですが、「携帯写真家協会」会員としては、あくまでも携帯にこだわる。
その中の古道の一つを紹介します。
ところで、葛飾区にはすっきりした、直線道路が何本かあります。
①水戸街道(通称十三間道路・この名称は、亀戸駅付近の明治通りにも付いています。だからあそこの商店街の入り口には、モニュメントがあります。余談。)
②平和橋通り(これは、江戸川区に入ると、船堀街道に変わる)
③立石駅南側の立石大通り
④青砥駅北口にある通り(通称水道路・みち)
この中で古代からの道が立石大通りの道。この道、昭和22年の古地図(gooで掲載されている地図)では、顕著です。
四つ木橋の北詰、「レンバンサイクル」という自転車屋さんの脇の道から、水戸街道を越えて、四つ木駅の商店街を通り抜ける。
水戸街道を渡ったところにある「案内板」。
京成線の踏切を渡り、立石大通り(「大通り」といっても、今時の新設される道路とは違って、車が駐車してあったら、通り抜けるのも大変な、狭苦しい道)となり両側の商店が立ち並ぶ、狭い歩道を歩行者に注意しながら、さらに東進。
本奥戸橋を渡ってずうと先まで蔵前橋通りにつながる道ではなくて、(この道の方が、広くて直線なので、つい騙されてしまう)今度は、奥戸橋からの道(この道は区役所の方から続く道)を行きます。
なお、立石大通りから少し東北、葛飾税務署の近くの児童公園の中に、この地の地名ともなった「立石様」があります。これは、古墳時代の大型な石の遺構と伝えられ、古代の東海道の道標だったのではないかと言われています。とすれば、ここでいう「古代の道」に沿って置かれていたものとも考えられます。
中川(古利根川)は、この辺りでは、極端に蛇行した流れになっています。大雨などの河川の氾濫が多くあったようで、古代の道筋もかなり変化していたはずで、昭和22年の航空写真でもこの辺りは道がはっきりしていません。
さて、金町と新小岩を結ぶ貨物線(通勤電車を通す話は、どうなったのかしらね)を越えて、いよいよあとは、直進の道。京成小岩駅の南口の踏切も越え、どんどん東に進みます。
途中、道路工事で広くなったり、狭くなったりしますが、ほとんどが東西を貫く直線の道。そして、終点が江戸川の土手。突き当たりは寺院があり、ちょっと回り道になりましたが。そして、その向こうには国府台。
そう、この道は、古代の国府と国府をつなぐ道のようです。武蔵の国の国府と下総の国の国府をつなぐ直線道路?
なお、小岩駅付近、この古道のすぐ北側に「上小岩遺跡」があり(江戸川区立上小岩小学校を中心とした遺跡)、今から約1600年前・古墳時代前期頃の遺物が発掘されていますから、かなり昔から栄えていたと考えられます。
また、西は、荒川放水路(これは、明治時代に作られた河川)を越えて、墨田区墨田。東武鐘ヶ淵駅付近にまで続くようですが、はっきり確認できません。
この間、その道を、延々と続く(現代にも続く)、古代の直線道路を、自転車で行ってみました。写真は、その終点。
今、江戸川は、スーパー堤防とやらの工事中で工事反対の幟がたくさんあげられていました。たしかに、土手は一面、シートで覆われてしまい、川の向こうは見えません。しかたなく、少し北に行って、土手に上がって撮った写真です。
今の水戸街道(国道6号線)は直線ですが、所々に旧水戸街道(もともとは陸前浜街道という)の道が残っています。これは、また後日。写真も撮ってきます。なにしろ小菅の綾瀬川には「水戸橋」がかかり、地元では「大曲り」と称する古道があるのですから。
デジカメでもいいのですが、「携帯写真家協会」会員としては、あくまでも携帯にこだわる。
その中の古道の一つを紹介します。
ところで、葛飾区にはすっきりした、直線道路が何本かあります。
①水戸街道(通称十三間道路・この名称は、亀戸駅付近の明治通りにも付いています。だからあそこの商店街の入り口には、モニュメントがあります。余談。)
②平和橋通り(これは、江戸川区に入ると、船堀街道に変わる)
③立石駅南側の立石大通り
④青砥駅北口にある通り(通称水道路・みち)
この中で古代からの道が立石大通りの道。この道、昭和22年の古地図(gooで掲載されている地図)では、顕著です。
四つ木橋の北詰、「レンバンサイクル」という自転車屋さんの脇の道から、水戸街道を越えて、四つ木駅の商店街を通り抜ける。

京成線の踏切を渡り、立石大通り(「大通り」といっても、今時の新設される道路とは違って、車が駐車してあったら、通り抜けるのも大変な、狭苦しい道)となり両側の商店が立ち並ぶ、狭い歩道を歩行者に注意しながら、さらに東進。
本奥戸橋を渡ってずうと先まで蔵前橋通りにつながる道ではなくて、(この道の方が、広くて直線なので、つい騙されてしまう)今度は、奥戸橋からの道(この道は区役所の方から続く道)を行きます。
なお、立石大通りから少し東北、葛飾税務署の近くの児童公園の中に、この地の地名ともなった「立石様」があります。これは、古墳時代の大型な石の遺構と伝えられ、古代の東海道の道標だったのではないかと言われています。とすれば、ここでいう「古代の道」に沿って置かれていたものとも考えられます。
中川(古利根川)は、この辺りでは、極端に蛇行した流れになっています。大雨などの河川の氾濫が多くあったようで、古代の道筋もかなり変化していたはずで、昭和22年の航空写真でもこの辺りは道がはっきりしていません。
さて、金町と新小岩を結ぶ貨物線(通勤電車を通す話は、どうなったのかしらね)を越えて、いよいよあとは、直進の道。京成小岩駅の南口の踏切も越え、どんどん東に進みます。
途中、道路工事で広くなったり、狭くなったりしますが、ほとんどが東西を貫く直線の道。そして、終点が江戸川の土手。突き当たりは寺院があり、ちょっと回り道になりましたが。そして、その向こうには国府台。
そう、この道は、古代の国府と国府をつなぐ道のようです。武蔵の国の国府と下総の国の国府をつなぐ直線道路?
なお、小岩駅付近、この古道のすぐ北側に「上小岩遺跡」があり(江戸川区立上小岩小学校を中心とした遺跡)、今から約1600年前・古墳時代前期頃の遺物が発掘されていますから、かなり昔から栄えていたと考えられます。
また、西は、荒川放水路(これは、明治時代に作られた河川)を越えて、墨田区墨田。東武鐘ヶ淵駅付近にまで続くようですが、はっきり確認できません。
この間、その道を、延々と続く(現代にも続く)、古代の直線道路を、自転車で行ってみました。写真は、その終点。
今、江戸川は、スーパー堤防とやらの工事中で工事反対の幟がたくさんあげられていました。たしかに、土手は一面、シートで覆われてしまい、川の向こうは見えません。しかたなく、少し北に行って、土手に上がって撮った写真です。
今の水戸街道(国道6号線)は直線ですが、所々に旧水戸街道(もともとは陸前浜街道という)の道が残っています。これは、また後日。写真も撮ってきます。なにしろ小菅の綾瀬川には「水戸橋」がかかり、地元では「大曲り」と称する古道があるのですから。
また、中川の辺り、普段ジョギングで使っているコースですが、ゆっくり歩くと見落としていたものを見つけたりして、例えば「帝釈大王」の道標とか、、なかなか楽しませて頂きました。
蒸し暑い午後、汗を拭き拭き約10㌔のウォーキングでしたが、葛飾もまだまだ見るべき切り口があると再確認しました。
ありがとうございました。