かつての尾根道を進みます。
この通りは、「こどもの国通り」。道の右側(川崎市側)は眼下に広がります。
足もとのマンホールは、町田市。
左に折れ、「三輪青葉公園」沿いに。
右手では、TBSの「テレビスタジオ(緑山スタジオ)」を建設中。
右下が開けてきます。
遠くに丹沢山塊が見えます。
この付近で、都県境は、左手にある「こどもの国」の敷地内に進んでいきます。
「こどもの国」沿いの道。
「こどもの国」正門。
こどもの国
神奈川県横浜市青葉区奈良町と東京都町田市三輪町に跨って所在する、社会福祉法人こどもの国協会が運営する総合的な児童厚生施設。
戦時中、当地は旧・日本軍最大規模の弾薬組み立て・格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設(陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所)であり、敗戦後は田奈弾薬庫として米軍に接収されていた。後に返還を受けると、1959年の当時の皇太子(明仁)の成婚を記念して、主に、国費と雪印乳業など民間からの寄贈や日本船舶振興会(現:日本財団)からの支援などにより施設跡地を整備し、1965年5月5日(こどもの日)に開園した。
開園時は国営の施設で横浜市が維持管理を行っていた。1966年(昭和41年)にこどもの国協会法に拠るこどもの国協会が発足。1981年(昭和56年)、「社会福祉法人こどもの国協会」に継承された。公園の用地は国有地である。
開園当初の主な交通手段は国鉄横浜線長津田駅や小田急小田原線鶴川駅からのバス輸送や自家用車であった。1967年(昭和42年)4月28日に弾薬庫への引込線跡を利用し、来園客の輸送を目的として、長津田駅とこどもの国駅を結ぶこどもの国線が開業。鉄道施設はこどもの国協会が保有し、東京急行電鉄が借り受けて運送していた。
通勤線化されるこどもの国線を保有し続けることが社会福祉法人としての目的から逸脱するおそれがあり、1997年(平成9年)8月1日に横浜高速鉄道へ譲渡している。
児童福祉と情操教育を目的とする施設として、自然の中での冒険や動物との触れ合い、物を作る体験など、素朴な遊び体験を重視している。そのため園内には多数の施設があるが、遊園地のような観覧車やジェットコースターのような大型の電動遊具はない。例外として、太陽光発電で動くミニSLや足漕ぎコースター等が敷設されている。
遠足やマラソン大会、デイキャンプなど周辺の学校行事にも活用されている。園名や開園日に因み、5月5日のこどもの日には中学生以下の入園料が無料となる。園内への酒類の持ち込みは禁止されている。
(この項、「Wikipedia」による)
「園内案内図」。
都県境は、公園内をジグザクで進むので、「こどもの国」の周囲をかなり迂回することになります。
「こどもの国」は、横浜市に属しています。
「横浜ベイブリッジ」を中心に描いたマンホール蓋。
しばらくは、横浜市青葉区内を歩くことになります。
左手奥が「こどもの国」一帯。
梨畑?
左折して北に向かいます。道なりに進むと、「横浜美術大学」へ。
左手の高台には、「日本体育大学横浜・ 健志台キャンパス 」が広がります。
「こどもの国」から進んだ都県境は、日体大の敷地をかすめるように、北に向かっていきます。
そこで、日体大の東側に広がるがる住宅地を通り抜け、「鴨志田公園」のところから都県境に向かうことにします。
2010年代のようす。上部に都県境。
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