慶應大学の方から神明坂を下りてくると「中の橋」のたもと。その下を流れるのが、古川。渋谷川(宮益橋~天現寺橋の2.6㌔)天現寺橋から河口までの4.4㌔が古川。
古川は、ほとんどの区間で首都高速の橋脚により河川の上空を覆われている。
かつては下流部においては舟運が栄え、上流部では水車が見られるような田園の中ののどかな川だった。
渋谷川上流の支川の河骨川(こうほねがわ)は、唱歌「春の小川」のモデルになった川で、 『春の小川』の碑は小田急線の代々木八幡と参宮橋との間の線路沿いにある。『春の小川』の源流は現在の参宮橋駅近くにあり、川は線路沿いに流れていたそうだが、今は、暗渠となっている。渋谷川の源流は、新宿御苑内にあるとのこと。現在は、暗渠になり、渋谷駅より上流では水の流れそのものは全く見ることはできない。
戦後の高度経済成長の下で、暗渠化されたり、水面は見えても全くのどぶ川になってしまっていた渋谷川。
近年は、清流復活事業の一環として、宮益橋からは下水処理された水が流れている。さらに「古川」は、河口から海水が上がってくるなど魚などが戻ってきている、という。
機会があったら、渋谷川・古川を上流から河口まで探訪してみようと思う。
写真は、赤羽橋からの古川上流。橋は国道1号線(昔の東海道)にある。
首都高「芝公園入口」。左下に古川が流れている。
一の橋付近。渋谷方向から東、そして北に流路を変えてきた古川は、ここからは東に向かう。
南方向。頭上は、首都高の橋脚。
赤羽橋付近からの東京タワー。3月11日の大地震でてっぺんのアンテナが曲がったらしい。修復も出来ずそのまま。首都高を走っていると、はっきりと分かる(よそ見運転をしないように)。今やスカイツリーに電波塔の座を奪われてしまったが、優美な姿はまたいいものだ。
そう、首都高を走っていて通過する「一の橋」「浜崎橋」などは、この「古川」の上に高速道路をつくったからですね。
古川は、ほとんどの区間で首都高速の橋脚により河川の上空を覆われている。
かつては下流部においては舟運が栄え、上流部では水車が見られるような田園の中ののどかな川だった。
渋谷川上流の支川の河骨川(こうほねがわ)は、唱歌「春の小川」のモデルになった川で、 『春の小川』の碑は小田急線の代々木八幡と参宮橋との間の線路沿いにある。『春の小川』の源流は現在の参宮橋駅近くにあり、川は線路沿いに流れていたそうだが、今は、暗渠となっている。渋谷川の源流は、新宿御苑内にあるとのこと。現在は、暗渠になり、渋谷駅より上流では水の流れそのものは全く見ることはできない。
戦後の高度経済成長の下で、暗渠化されたり、水面は見えても全くのどぶ川になってしまっていた渋谷川。
近年は、清流復活事業の一環として、宮益橋からは下水処理された水が流れている。さらに「古川」は、河口から海水が上がってくるなど魚などが戻ってきている、という。
機会があったら、渋谷川・古川を上流から河口まで探訪してみようと思う。
写真は、赤羽橋からの古川上流。橋は国道1号線(昔の東海道)にある。
首都高「芝公園入口」。左下に古川が流れている。
一の橋付近。渋谷方向から東、そして北に流路を変えてきた古川は、ここからは東に向かう。
南方向。頭上は、首都高の橋脚。
赤羽橋付近からの東京タワー。3月11日の大地震でてっぺんのアンテナが曲がったらしい。修復も出来ずそのまま。首都高を走っていると、はっきりと分かる(よそ見運転をしないように)。今やスカイツリーに電波塔の座を奪われてしまったが、優美な姿はまたいいものだ。
そう、首都高を走っていて通過する「一の橋」「浜崎橋」などは、この「古川」の上に高速道路をつくったからですね。
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