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読書「ヒトラーを支持したドイツ国民」(ロバート・ジェラテリー)みすず書房

2014-03-11 21:04:06 | 読書無限
 ナチ独裁制がドイツ国民大多数の支持・合意を基盤に成立し、機能していたことを、ゲシュタポの残存資料と当時の新聞雑誌を分析して実証した書。もちろん、原資料が、ナチ体制を支えた組織であり、厳しい言論統制と反ナチ・敵対者への過酷な弾圧下でのマスコミ資料、という限界性を持っているのは、しかたがない。しかし、その奥底に垣間見えてくるナチ体制の内実と、時には熱狂的に支持し支えていた国民の意識のありようを厳しく検証する手法によって、時代相を解明していく。

 1933年1月のヒトラー宰相任命によって、政治的、経済的分野において、それまでの20年間、第一次世界大戦をはさんで大きな不安と不満の極地にあったドイツ国民は、失われた力強い「国家」、名誉ある「国民」を取り戻すことができ、生活の豊かさを再び味わうことができるようになった。
 大恐慌後の世界的な経済的混乱の中で、他国に先駆けて、ヒトラーは、完全雇用の実現(大赤字財政を導入しての、公共事業投資、軍備の増強、徴兵制や強制労働を伴ったもの)、所得の伸び(可処分所得の増加)等のかたちで現実化していく。また、列強としての国際的地位をとりもどす。
 こうした「国威の高揚」を実感したドイツ国民は、「古き良き時代」を再現してくれたとヒトラー・ナチに大いに感謝した。

 忘れてはならないことは、国民啓蒙、宣伝省の管轄下でつくられた「第三帝国」の賛歌が、非常に早くから、労働創出計画、アウトバーンの建設、ファミリカーの約束、安い休暇、それにオリンピックの開催と、成功した政策を伴っていたという事実。政権は、みせかけではなく、こうした行動によって、いち早く熱狂者を結集した。そのおかげで短期的に独裁制は確立された・・・。(P311)ことにある。

 もちろんヒトラーは国民に、こうした最初の安易な勝利に対して、最後は莫大な代償を払わせるのだが。

 人々は、ナチの掲げる「民族共同体(共同体としての同一性、純粋性、等質性)」を築くために、反社会分子(当初は共産主義者、のちには反ナチすべて)、反ユダヤ主義と外国人労働者(ポーランド人等)に対する人種差別主義の実施に協力していった。普通の犯罪についても密告することを躊躇しなかった。生活の身近に目にするようになった「強制収容所」に、政治犯(警察がそう断定すればいい)が新たに送られて来るのを見て喜んだ(収容所から生きて帰れる者はほとんどいない)。
 
 とりわけ、「密告」体制が社会の隅々まで張り巡らされ、その多くは「自発的」「利己的」な動機からだったことが明らかにされていく。多くの人々は、ナチズムが戦争が不可避な体制であることへの洞察力もないままに、最終局面を迎えるに至った。
 
 明らかに多くの人々は、現実として目の当たりにした残虐行為を含めて状況を理解しようはせず、ヒトラーを、あるいは少なくともドイツを支持する以外はなにもできなかった。(P316)

 特に筆者の注目すべき論点は、「ナチ独裁制が(国民多数と、社会の合意の上に成り立った)『国民投票独裁』」だと主張している点。機会あるたびに「国民投票」が実施され、国民は、圧倒的に支持した。
 それが押しつけられた、有無を言わせない「賛成投票」行為であったという側面(国民に選択の自由は与えられていなかった!)もあるが、一方で、ナチによって自分たちの経済的利益を増し、「合法的」(もちろんナチにとってのだが)にユダヤ人やポーランド人から財産を奪いとり、さらに収容所や外国人労働力を「無償で」得た結果、飛躍的に生産性を上げた大企業経営者達にとって、ナチはまさに「救い」の神であった。 そういう持ちつ持たれつの関係がヒトラー(ナチ)と国民との間に成り立ち、支持されていた。

 「ナチ独裁制とドイツ国民の共鳴・共振関係」という筆者の提起は、過去の日本、そして今の日本にも考えさせられる政治、経済情勢ではある。    

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