おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書「この人から受け継ぐもの」(井上ひさし)岩波書店

2011-12-06 20:00:47 | 読書無限
 2010年4月に井上ひさしさんが亡くなった。もう1年半以上にもなる。この書で語られるものは、3人、いや4人・・・、もっと多くの、政治の、文学の、哲学の、そして劇作の先駆者達の姿、姿勢(生き様)についての井上流の読み解きです。
 自らが戯曲化することでより鮮明になったその人物像。成し遂げた(し残した)仕事、取り巻く時代状況など、多くの資料を駆使してのつかみ取った実態が語られていきます。
 吉野作造の憲法観、国家観。立憲君主制の下で、「立憲」を大きく掲げ、「君主」を小さくする、という「民本主義」(民主主義)の旗を掲げて、主張し、行動した。左右からも攻撃されながら、職を奪われながらも敢然と闘った姿に、今の政治情勢(民主主義の危うさ)のもとで、改めてその先駆性を捉え直すべきだ、と。弟(バリバリの官僚)との葛藤?等を織り交ぜた「兄おとうと」という戯曲を創作したことにもふれながら。
 宮沢賢治のユートピアについて。これも「イーハートーボの劇列車」という芝居をかいたときにつかんだ宮沢賢治の生涯(人となり)を今一度捉え直しながら、彼が意識的あるいは無意気的に残して行ったもの、受け継がなければならないものは何かを語りかけています。
 宮沢賢治のいうユートピア思想を井上さんは、時間のユートピアという概念で捉え直そうとしています。時を忘れて精神の解放を分かち合う重要性、人が集まってきて、「おまえも人か、俺も人だ」という確認からはじまる、そんな理想の時間を宮沢賢治はあこがれていたのではないか、と。それも、東京とか世界とかを視野に入れつつも、花巻という地に於いて・・・。宮沢賢治が躁鬱気質であった、という分析はしごく納得しましたが。
 日本人としては、もう一人。丸山真男。ここでは、戦争責任論というかなりシビアな問題を、すなわち東京裁判が昭和天皇を免責することを大前提にして行われたことの誤りについて言及していく。
 たんなる文献主義ではなくて、実証主義的に現代社会を成立させている民主主義機構の持つ危うさを鋭く指摘した丸山政治哲学から多くを学び取ったことを明らかにしている。
一番トップが責任を取らないため、二番目もとらなくて済み、三番目も、以下・・・。
このあたりの論理のおかしさ、まやかしは、「頭痛肩凝り樋口一葉」でその片鱗が具体的に戯曲化されていましたが。
 さらに、「強羅ホテル」でも描かれた敗戦直前の「日ソ会談」も取り上げられて、いかに日本のトップが世界情勢に疎いか、内向きでしかなかったか、記録をもとに痛烈に批判しています。
 この他に、「笑い」についてのエッセイも収録されています。特にチェーホフの生き様にふれながらチェーホフ劇の本質に迫っています。
 この本は、井上ひさしが亡くなった年の12月に発刊されたものなので、表題は編集者がつけたと思います。言い得て妙です。つまり、残された私たちは、いかに井上ひさしの思いを受け継いでいくのか、という問いかけにもなっているからです。大江健三郎にもそういう視点で書いているものがあります。 
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 関東村跡地 | トップ | はたして、このシールは??? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

読書無限」カテゴリの最新記事