この辺り、「新宿御苑」から「渋谷川」が暗渠になって流れ出るところ。園内からの写真。足元はふかふかの落ち葉に敷き詰められています。
木々に覆われて、細い流れがある。
下の池からの落ち口。
ここから上流に向かって「中の池」、「上の池」と遡っていきます。下の池と流れに架かっている橋が、
日本初の擬木の橋
この橋は、日本で最初の擬木の橋と言われています。擬木とは、木の幹に似せてコンクリートや石でつくったもののことです。明治38年にフランスから買ったもので、3人のフランス人がついてきて現場で組み立てました。何度か修理されましたが、当時の姿のまま残され今日に至っています。
そこからの「下の池」。
考えてみたら、「新宿御苑」に来たのはいつだったか、思い出せないほど。こういう機会でもなければ、と。散策している人もけっこう多い。特に外国人の姿が目立ちます。それにしても豊かな自然です。
中の池。
「上の池」手前にあるのが「旧御涼亭」。
新宿御苑旧御涼亭
この建物は皇太子(後の昭和天皇)御成婚記念として台湾在住邦人の有志から贈られたものである。旧御休息所の平面形状に卍形のモチーフが見られるなど、清朝中期以降の台湾で用いられた建築様式(中国南方のピン南建築様式)の特徴が現れている。
わが国では、大倉集古館(1927年築、東京都港区虎ノ門)と並ぶ本格的中国風建築物である。
平成の保存改修工事では、屋根まわりの形状を創建時の姿に復元するとともに、耐震補強を行い、あわせて、破損・腐朽部の修繕を実施した。
(HPより)
上の池。
満々と水をたたえる。
この池が園内では「渋谷川」の最上流。
裏手(西側)に回ったところ。
この付近にも小さいながらも池があるようです。
水源は定かではないが、かつてはもう少し西にある「天龍寺」内のところから湧き水が流れ出していたとか。
「渋谷川」の水源としてもう一ヵ所、園内にある「玉川上水」を引き入れた「玉藻池」があるようです。そこからの下水(したみず)が「天龍寺」からの流れと「御苑」の東南付近で合わさって、南に流れていった、と。
次の機会には「玉藻池」までの探索ということになります。さらに、「明治神宮」からの支流など、「宇田川(初台川)」や「河骨川」(童謡「春の小川」)なども探索の対象になりそうです。
木々に覆われて、細い流れがある。
下の池からの落ち口。
ここから上流に向かって「中の池」、「上の池」と遡っていきます。下の池と流れに架かっている橋が、
日本初の擬木の橋
この橋は、日本で最初の擬木の橋と言われています。擬木とは、木の幹に似せてコンクリートや石でつくったもののことです。明治38年にフランスから買ったもので、3人のフランス人がついてきて現場で組み立てました。何度か修理されましたが、当時の姿のまま残され今日に至っています。
そこからの「下の池」。
考えてみたら、「新宿御苑」に来たのはいつだったか、思い出せないほど。こういう機会でもなければ、と。散策している人もけっこう多い。特に外国人の姿が目立ちます。それにしても豊かな自然です。
中の池。
「上の池」手前にあるのが「旧御涼亭」。
新宿御苑旧御涼亭
この建物は皇太子(後の昭和天皇)御成婚記念として台湾在住邦人の有志から贈られたものである。旧御休息所の平面形状に卍形のモチーフが見られるなど、清朝中期以降の台湾で用いられた建築様式(中国南方のピン南建築様式)の特徴が現れている。
わが国では、大倉集古館(1927年築、東京都港区虎ノ門)と並ぶ本格的中国風建築物である。
平成の保存改修工事では、屋根まわりの形状を創建時の姿に復元するとともに、耐震補強を行い、あわせて、破損・腐朽部の修繕を実施した。
(HPより)
上の池。
満々と水をたたえる。
この池が園内では「渋谷川」の最上流。
裏手(西側)に回ったところ。
この付近にも小さいながらも池があるようです。
水源は定かではないが、かつてはもう少し西にある「天龍寺」内のところから湧き水が流れ出していたとか。
「渋谷川」の水源としてもう一ヵ所、園内にある「玉川上水」を引き入れた「玉藻池」があるようです。そこからの下水(したみず)が「天龍寺」からの流れと「御苑」の東南付近で合わさって、南に流れていった、と。
次の機会には「玉藻池」までの探索ということになります。さらに、「明治神宮」からの支流など、「宇田川(初台川)」や「河骨川」(童謡「春の小川」)なども探索の対象になりそうです。
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