「アジアへの反省」触れず=戦没者追悼式で首相式辞―68回目の終戦記念日(時事通信) - goo ニュース
「産経新聞」2013年8月16日(金)の記事。
靖国神社 首相が堂々参れる日いつ…いまだ残る「熱狂と偏見」
68回目の「終戦の日」である15日の靖国神社は、民主党政権時代には目立った厳しい政権批判は影を潜めた。神社境内での集会や、付近で配られていたビラなどで安倍晋三首相の15日参拝を求める声は散見されたが、首相の参拝自体が期待できなかった民主党時代のとげとげしさはなかった。境内は正午の黙祷(もくとう)時は静寂に包まれ、落ち着いた「祈りの場」に立ち返っていた。
振り返れば鳩山由紀夫元首相は平成21年10月の中国の温家宝首相(当時)との会談で、「靖国のことは頭から消し去ってほしい」と述べ、自身と閣僚の不参拝を約束した。靖国が「先の大戦では『靖国で会おう』を合言葉に多くの兵士が散っていった。ご遺族は父や主人に会えるかもしれないとの思いであの場所に行く」(4月10日の安倍首相の国会答弁)という「特別な場所」であることなど、眼中になかったのだ。
菅直人政権時代の22年には、境内の一角に菅首相と仙谷由人官房長官、岡田克也外相を批判する写真が地面に貼られ、「TRAITOR(売国奴)」「ご自由にお踏みください」と記されていた。民主党政権への怒りと不満が鬱積していた。
一方、今回の集会で衛藤晟一(せいいち)首相補佐官は環境整備の必要性を強調した。
「他国からいろいろ言われることなく、ちゃんとお参りできる国をつくりたい。これができなければ戦後は終わらない」
首相はこの日、自民党総裁として私費で玉串料を奉納した。代理奉納した同党の萩生田光一総裁特別補佐は記者団に、首相に託されたこんな伝言を明かした。
「先の大戦で亡くなった先人の御霊(みたま)に、本日は参拝できないことをおわびしてほしい。靖国への思いは変わらないと伝えてほしい」
首相は、中国、韓国のみならず同盟国の米国も巻き込んで外交問題化する15日の参拝は選ばなかったが、在任中に時機を考慮して参拝する意向は変わらない。
とはいえ、靖国参拝が政治問題化するのは中韓だけが問題なのではない。「アジアの中で靖国参拝に反対しているのは中韓2国だけ」(外交評論家の石平氏)だとしても、日本国内の一部勢力が火に油を注いできたのも否めない。
例えば中江要介元中国大使は12年4月に国会で、昭和60年12月に中国の胡耀邦総書記(当時)と靖国問題を協議した際のエピソードを証言している。同年8月15日に中曽根康弘首相(当時)が公式参拝したのをきっかけに、日中関係が冷え込んでいたころだった。
胡氏「もう靖国神社の問題は両方とも言わないことにしよう。黙って85年でも100年でも騒がずに静かにして、自然消滅を待つのが一番いいじゃないか」
中江氏「もし今黙っちゃったら、日本では『ああ、もうあれでよかったんだ』と思ってしまう人が出るかもしれない」
冷静になろうと努める中国側を、むしろ日本側がたきつけているような構図だ。時の首相がいかに真摯(しんし)に戦没者の慰霊と追悼の意義や正当性を訴えようと、背中から矢を射る勢力が幅を利かせていては事態はなかなか改善できない。
靖国神社境内には、東京裁判で被告全員無罪を主張したインドのパール判事の顕彰碑があり、パール判決文(意見書)を引用した次の碑文が刻まれている。
《時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には その時こそ正義の女神は その秤(はかり)を平衡に保ちながら 過去の賞罰の多くに そのところを変えることを要求するであろう》
残念ながら、靖国をめぐる国内外の「熱狂と偏見」はまだやわらいではいないようだ。
「阿比留瑠比」との記名入りの記事。
民主党政権時代の靖国境内の首相以下の踏み絵は初めて知った。すると、筆者は、時の政府の対応について、賛成も反対も「喧噪」であってはならない、という戒めの中で「靖国」への冷静な対応を主張しているのか?
さにあらず、靖国参拝反対で騒ぎを起こしている人々の騒ぎの自制を促す内容となっている。
「衛藤晟一首相補佐官は環境整備の必要性を強調した」という。「環境整備」とは靖国神社国家護持への布石を意味しているのではないだろうか。
かつては自身でも使った「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与え、深い反省と哀悼の意を表する」という表現を用いず、近年の首相が使っていた「不戦の誓い」にも触れなかったアベの意図をこうして一部のマスコミは追認、かえって、「(中国や韓国政府の「反日」に追従している)国内の一部が火に油を注ぐ」のだと言論をなす。
よりいっそうの「政治も経済も軍事も対米従属」を究極の目標にし、そのための憲法「改定」を急ぐアベ(と政官財)の意図を厳しく批判する「マスコミ」はないものか。「共産党」「社民党」しか正面切って異議を唱える政党がいない中で・・・。
「熱狂」と「偏見」というくくりで反対派を批判し、対義語として「静かに」を用いる手口に格段の注意を払うべきだ、と思う。
「産経新聞」2013年8月16日(金)の記事。
靖国神社 首相が堂々参れる日いつ…いまだ残る「熱狂と偏見」
68回目の「終戦の日」である15日の靖国神社は、民主党政権時代には目立った厳しい政権批判は影を潜めた。神社境内での集会や、付近で配られていたビラなどで安倍晋三首相の15日参拝を求める声は散見されたが、首相の参拝自体が期待できなかった民主党時代のとげとげしさはなかった。境内は正午の黙祷(もくとう)時は静寂に包まれ、落ち着いた「祈りの場」に立ち返っていた。
振り返れば鳩山由紀夫元首相は平成21年10月の中国の温家宝首相(当時)との会談で、「靖国のことは頭から消し去ってほしい」と述べ、自身と閣僚の不参拝を約束した。靖国が「先の大戦では『靖国で会おう』を合言葉に多くの兵士が散っていった。ご遺族は父や主人に会えるかもしれないとの思いであの場所に行く」(4月10日の安倍首相の国会答弁)という「特別な場所」であることなど、眼中になかったのだ。
菅直人政権時代の22年には、境内の一角に菅首相と仙谷由人官房長官、岡田克也外相を批判する写真が地面に貼られ、「TRAITOR(売国奴)」「ご自由にお踏みください」と記されていた。民主党政権への怒りと不満が鬱積していた。
一方、今回の集会で衛藤晟一(せいいち)首相補佐官は環境整備の必要性を強調した。
「他国からいろいろ言われることなく、ちゃんとお参りできる国をつくりたい。これができなければ戦後は終わらない」
首相はこの日、自民党総裁として私費で玉串料を奉納した。代理奉納した同党の萩生田光一総裁特別補佐は記者団に、首相に託されたこんな伝言を明かした。
「先の大戦で亡くなった先人の御霊(みたま)に、本日は参拝できないことをおわびしてほしい。靖国への思いは変わらないと伝えてほしい」
首相は、中国、韓国のみならず同盟国の米国も巻き込んで外交問題化する15日の参拝は選ばなかったが、在任中に時機を考慮して参拝する意向は変わらない。
とはいえ、靖国参拝が政治問題化するのは中韓だけが問題なのではない。「アジアの中で靖国参拝に反対しているのは中韓2国だけ」(外交評論家の石平氏)だとしても、日本国内の一部勢力が火に油を注いできたのも否めない。
例えば中江要介元中国大使は12年4月に国会で、昭和60年12月に中国の胡耀邦総書記(当時)と靖国問題を協議した際のエピソードを証言している。同年8月15日に中曽根康弘首相(当時)が公式参拝したのをきっかけに、日中関係が冷え込んでいたころだった。
胡氏「もう靖国神社の問題は両方とも言わないことにしよう。黙って85年でも100年でも騒がずに静かにして、自然消滅を待つのが一番いいじゃないか」
中江氏「もし今黙っちゃったら、日本では『ああ、もうあれでよかったんだ』と思ってしまう人が出るかもしれない」
冷静になろうと努める中国側を、むしろ日本側がたきつけているような構図だ。時の首相がいかに真摯(しんし)に戦没者の慰霊と追悼の意義や正当性を訴えようと、背中から矢を射る勢力が幅を利かせていては事態はなかなか改善できない。
靖国神社境内には、東京裁判で被告全員無罪を主張したインドのパール判事の顕彰碑があり、パール判決文(意見書)を引用した次の碑文が刻まれている。
《時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には その時こそ正義の女神は その秤(はかり)を平衡に保ちながら 過去の賞罰の多くに そのところを変えることを要求するであろう》
残念ながら、靖国をめぐる国内外の「熱狂と偏見」はまだやわらいではいないようだ。
「阿比留瑠比」との記名入りの記事。
民主党政権時代の靖国境内の首相以下の踏み絵は初めて知った。すると、筆者は、時の政府の対応について、賛成も反対も「喧噪」であってはならない、という戒めの中で「靖国」への冷静な対応を主張しているのか?
さにあらず、靖国参拝反対で騒ぎを起こしている人々の騒ぎの自制を促す内容となっている。
「衛藤晟一首相補佐官は環境整備の必要性を強調した」という。「環境整備」とは靖国神社国家護持への布石を意味しているのではないだろうか。
かつては自身でも使った「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与え、深い反省と哀悼の意を表する」という表現を用いず、近年の首相が使っていた「不戦の誓い」にも触れなかったアベの意図をこうして一部のマスコミは追認、かえって、「(中国や韓国政府の「反日」に追従している)国内の一部が火に油を注ぐ」のだと言論をなす。
よりいっそうの「政治も経済も軍事も対米従属」を究極の目標にし、そのための憲法「改定」を急ぐアベ(と政官財)の意図を厳しく批判する「マスコミ」はないものか。「共産党」「社民党」しか正面切って異議を唱える政党がいない中で・・・。
「熱狂」と「偏見」というくくりで反対派を批判し、対義語として「静かに」を用いる手口に格段の注意を払うべきだ、と思う。
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