少し戻って、南から西の方へ。この道路は最近できたようだ。
「三井倉庫」裏手の運河沿い。
「コットンハーバータワーズ」4棟と「コットンハーバー マリナゲートタワー」1棟からなるマンション群。
「三井倉庫」の岸壁。煉瓦造りの部分などがあって、かなりの古さを感じる。左手が貨物線。
運河側から望む。右手が「三井倉庫」。
「会社道踏切」。
廃止となった鉄道線の橋梁。1959(昭和34)年までは、東神奈川駅へ向かう貨物支線として存在していた。
ゴルフ練習場(当時の地図では変電所の施設があったようになっている)の脇を通って東神奈川駅方面に向かっていた。
1970年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。運河を斜めに渡っているのが、「東神奈川駅」からの貨物線跡で、中央に大きく広がる「東高島駅」に通じていた(当時はすでに廃線)。
運河に架かる橋梁のみ残っている。ぜひ今後も保存してもらいたいものだ。
鉄橋を通過する電気機関車(実は、その向こうの本線を通過している)。
その機関車の向かう先に「東高島駅」がある。
「東高島駅」という標識。
現在は、車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着はなくなっている。
《駅の概要》(以下「Wikipedia」参照)
鶴見と桜木町を結ぶ貨物線である「高島線」の中間駅で、当駅より鶴見方は複線、桜木町方は単線となっている。通常運転停車のできない桜木町駅に代わって一部の貨物列車が当駅で運転停車や上下交換を行う。当駅は2005年(平成17年)度を最後に貨物の発着実績がなく、信号場としてのみ機能している。
《歴史》
当駅付近に最初に線路が敷設されたのは、横浜鉄道(後の国鉄・JR横浜線)が東神奈川駅から貨物線を延長してきたとき。
1910年(明治43年)10月に東神奈川からの線路が延長され、海岸側に設置された海神奈川駅は1911年(明治44年)12月10日に正式開業した。これは横浜鉄道の創業者グループが別に経営していた横浜倉庫の倉庫や岸壁との連絡を狙ったもので、現在、高島線が通過している千若町二丁目の埋立地は、横浜倉庫が埋め立てを行っている。
その後、鶴見と高島を結ぶ複線の貨物線が1917年(大正6年)6月17日に開通した。
1923年(大正12年)9月1日には関東大震災が発生し、その復興を兼ねて1924年(大正13年)10月1日、東神奈川 - 高島間の貨物支線上の駅として東高島駅が開業した。東高島駅は構内の周囲を運河に囲まれており、水陸連絡貨物を主に扱った。敷地は、元々神奈川台場として造成されたもので、その上に覆土を行って線路を通した。
1934年(昭和9年)6月15日に高島と山内町(後の横浜市場)を結ぶ2.6 kmの貨物線が開通した。東高島構内まで本線と並行し、そこで南へ曲がって横浜市場駅へ通じる構造であった。
1935年(昭和10年)7月15日には入江と瑞穂を結ぶ2.8 kmの貨物線も開通した。
1955年(昭和30年)1月17日に、東高島駅はそれまでの東神奈川 - 高島間支線の駅から、高島線上の駅に所属変更された。これに伴い、東神奈川からの線は東高島終点となった。また瑞穂への支線も東高島駅分岐になり、横浜市場への支線も東高島駅分岐になった。
しかし、横浜線の貨物輸送量減少に伴って東神奈川と東高島を結ぶ貨物線は不要となり、1959年(昭和34年)4月1日に廃止となった。さらに米軍が占有して使うようになった瑞穂埠頭にあった瑞穂駅へ通じる貨物支線は1958年(昭和33年)5月1日付で国鉄の路線としては廃止となった。その後米軍の専用線としての使用が続けられた。
その後、貨物輸送の形態の変化に伴って横浜臨港線関連の貨物輸送は減少していき、1982年(昭和57年)11月15日付で横浜市場への貨物支線も廃止となった。
1987年(昭和62年)4月1日付で国鉄分割民営化により日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となった。隣接する高島駅は1995年(平成7年)2月27日に廃止となり、同時に東高島 - 高島間が単線化された。これにより東高島駅は複線と単線の接続する駅となっている。
《年表》
1917年(大正6年) 6月17日 - 海神奈川信号扱所開設。高島線と、東神奈川駅と海神奈川駅を結ぶ貨物支線の平面交差地点。海神奈川駅構内扱い。東神奈川駅と高島駅を結ぶ連絡線が開通。
10月1日 - 横浜鉄道が正式に国有化。
1923年(大正12年)2月1日 - 専用線発着貨物の取扱を開始。
1924年(大正13年) 1月1日 - 海神奈川駅から独立、千若信号場となる。
10月1日 - 東神奈川 - 高島間の貨物支線上の駅として東高島駅開業。
1934年(昭和9年)6月15日 - 高島 - 山内町間開通、実質的には千若信号場で分岐。
1935年(昭和10年)7月15日 - 入江 - 瑞穂間開通、実質的には千若信号場で分岐。
1955年(昭和30年)1月17日 - 東高島駅の所属を高島線に変更、千若信号場を統合。瑞穂への支線、横浜市場への支線が当駅分岐扱いになる。東神奈川からの支線が当駅終点となる。
1958年(昭和33年)5月1日 - 瑞穂駅への貨物支線が廃止され、在日米軍専用線に転用。営業範囲を小口扱および車扱貨物(ただし、小口扱貨物は同停車場接続駐留軍専用線発着のものに限る。)とする。
1959年(昭和34年)4月1日 - 東神奈川駅への貨物支線が廃止。
1970年(昭和45年) 9月15日 - 高島線電化開業。
10月1日 - 電気機関車による貨物列車牽引を開始。
1982年(昭和57年)11月15日 - 横浜市場駅への貨物支線が廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により日本貨物鉄道の駅となる。
1995年(平成7年)2月27日 - 当駅と高島駅の間が単線化。
(「Wikipedia」より)
右手に見えるのが、かつてのホームの屋根。
運河側は駐車スペース。
ゴルフ練習場の岸壁。煉瓦造りのところもあって、かなり古い。
「龍宮橋」大正12年の架橋。遠くに廃線となった橋梁、その奥が「三井倉庫」の建物。
「星野橋」付近にある「案内図」。上部の四角形の部分を歩いた。
2000年代初め頃のようす(「今昔マップ」より)。赤い線が1900年代初め頃の海岸線、赤丸が「神奈川砲台」のあったあたり。
この付近はまだまだ見所満載のところ。近々また来ようと思っています。
「三井倉庫」裏手の運河沿い。
「コットンハーバータワーズ」4棟と「コットンハーバー マリナゲートタワー」1棟からなるマンション群。
「三井倉庫」の岸壁。煉瓦造りの部分などがあって、かなりの古さを感じる。左手が貨物線。
運河側から望む。右手が「三井倉庫」。
「会社道踏切」。
廃止となった鉄道線の橋梁。1959(昭和34)年までは、東神奈川駅へ向かう貨物支線として存在していた。
ゴルフ練習場(当時の地図では変電所の施設があったようになっている)の脇を通って東神奈川駅方面に向かっていた。
1970年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。運河を斜めに渡っているのが、「東神奈川駅」からの貨物線跡で、中央に大きく広がる「東高島駅」に通じていた(当時はすでに廃線)。
運河に架かる橋梁のみ残っている。ぜひ今後も保存してもらいたいものだ。
鉄橋を通過する電気機関車(実は、その向こうの本線を通過している)。
その機関車の向かう先に「東高島駅」がある。
「東高島駅」という標識。
現在は、車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着はなくなっている。
《駅の概要》(以下「Wikipedia」参照)
鶴見と桜木町を結ぶ貨物線である「高島線」の中間駅で、当駅より鶴見方は複線、桜木町方は単線となっている。通常運転停車のできない桜木町駅に代わって一部の貨物列車が当駅で運転停車や上下交換を行う。当駅は2005年(平成17年)度を最後に貨物の発着実績がなく、信号場としてのみ機能している。
《歴史》
当駅付近に最初に線路が敷設されたのは、横浜鉄道(後の国鉄・JR横浜線)が東神奈川駅から貨物線を延長してきたとき。
1910年(明治43年)10月に東神奈川からの線路が延長され、海岸側に設置された海神奈川駅は1911年(明治44年)12月10日に正式開業した。これは横浜鉄道の創業者グループが別に経営していた横浜倉庫の倉庫や岸壁との連絡を狙ったもので、現在、高島線が通過している千若町二丁目の埋立地は、横浜倉庫が埋め立てを行っている。
その後、鶴見と高島を結ぶ複線の貨物線が1917年(大正6年)6月17日に開通した。
1923年(大正12年)9月1日には関東大震災が発生し、その復興を兼ねて1924年(大正13年)10月1日、東神奈川 - 高島間の貨物支線上の駅として東高島駅が開業した。東高島駅は構内の周囲を運河に囲まれており、水陸連絡貨物を主に扱った。敷地は、元々神奈川台場として造成されたもので、その上に覆土を行って線路を通した。
1934年(昭和9年)6月15日に高島と山内町(後の横浜市場)を結ぶ2.6 kmの貨物線が開通した。東高島構内まで本線と並行し、そこで南へ曲がって横浜市場駅へ通じる構造であった。
1935年(昭和10年)7月15日には入江と瑞穂を結ぶ2.8 kmの貨物線も開通した。
1955年(昭和30年)1月17日に、東高島駅はそれまでの東神奈川 - 高島間支線の駅から、高島線上の駅に所属変更された。これに伴い、東神奈川からの線は東高島終点となった。また瑞穂への支線も東高島駅分岐になり、横浜市場への支線も東高島駅分岐になった。
しかし、横浜線の貨物輸送量減少に伴って東神奈川と東高島を結ぶ貨物線は不要となり、1959年(昭和34年)4月1日に廃止となった。さらに米軍が占有して使うようになった瑞穂埠頭にあった瑞穂駅へ通じる貨物支線は1958年(昭和33年)5月1日付で国鉄の路線としては廃止となった。その後米軍の専用線としての使用が続けられた。
その後、貨物輸送の形態の変化に伴って横浜臨港線関連の貨物輸送は減少していき、1982年(昭和57年)11月15日付で横浜市場への貨物支線も廃止となった。
1987年(昭和62年)4月1日付で国鉄分割民営化により日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となった。隣接する高島駅は1995年(平成7年)2月27日に廃止となり、同時に東高島 - 高島間が単線化された。これにより東高島駅は複線と単線の接続する駅となっている。
《年表》
1917年(大正6年) 6月17日 - 海神奈川信号扱所開設。高島線と、東神奈川駅と海神奈川駅を結ぶ貨物支線の平面交差地点。海神奈川駅構内扱い。東神奈川駅と高島駅を結ぶ連絡線が開通。
10月1日 - 横浜鉄道が正式に国有化。
1923年(大正12年)2月1日 - 専用線発着貨物の取扱を開始。
1924年(大正13年) 1月1日 - 海神奈川駅から独立、千若信号場となる。
10月1日 - 東神奈川 - 高島間の貨物支線上の駅として東高島駅開業。
1934年(昭和9年)6月15日 - 高島 - 山内町間開通、実質的には千若信号場で分岐。
1935年(昭和10年)7月15日 - 入江 - 瑞穂間開通、実質的には千若信号場で分岐。
1955年(昭和30年)1月17日 - 東高島駅の所属を高島線に変更、千若信号場を統合。瑞穂への支線、横浜市場への支線が当駅分岐扱いになる。東神奈川からの支線が当駅終点となる。
1958年(昭和33年)5月1日 - 瑞穂駅への貨物支線が廃止され、在日米軍専用線に転用。営業範囲を小口扱および車扱貨物(ただし、小口扱貨物は同停車場接続駐留軍専用線発着のものに限る。)とする。
1959年(昭和34年)4月1日 - 東神奈川駅への貨物支線が廃止。
1970年(昭和45年) 9月15日 - 高島線電化開業。
10月1日 - 電気機関車による貨物列車牽引を開始。
1982年(昭和57年)11月15日 - 横浜市場駅への貨物支線が廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により日本貨物鉄道の駅となる。
1995年(平成7年)2月27日 - 当駅と高島駅の間が単線化。
(「Wikipedia」より)
右手に見えるのが、かつてのホームの屋根。
運河側は駐車スペース。
ゴルフ練習場の岸壁。煉瓦造りのところもあって、かなり古い。
「龍宮橋」大正12年の架橋。遠くに廃線となった橋梁、その奥が「三井倉庫」の建物。
「星野橋」付近にある「案内図」。上部の四角形の部分を歩いた。
2000年代初め頃のようす(「今昔マップ」より)。赤い線が1900年代初め頃の海岸線、赤丸が「神奈川砲台」のあったあたり。
この付近はまだまだ見所満載のところ。近々また来ようと思っています。
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