おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書「薔薇くい姫」(森茉莉・百年文庫「花」より)ポプラ社

2012-07-11 19:48:13 | 読書無限
 この百年文庫。100×3人の作家が採りあげられていますが、大ざっぱに勘定したところ、洋の東西あわせて3、40人ほどしか採りあげられていません。百年という近現代のうち、女性作家の存在は薄かったのでしょう。文人=男性という世間の目もあった。
 その中で、採りあげられている女性たちは、どの人もたいした存在。学業も仕事もままならず、日々の生業にいそしまざるを得なかった多くの女性。たしかに光った位置を占めています。特に今まで接したことがない(自分の知らなかった)女性作家の作品が読めるのも、こうしたアンソロジーのいいところでしょう。
 今回の3人。 森茉莉、片山廣子、城夏子。それぞれ独特のスタンスの持ち主。中でも、森茉莉さんは、卓越した印象。
 父親が森鴎外。偉大な文学者のもとで、父から溺愛に近い関係だった茉莉。その心の機微がうかがわれて実に面白かった。「快作」と裏表紙には紹介されていましたが、むしろ「怪作」という方が当たりそうでした。題名も「薔薇くい姫」。身体(もともとジンゾウが悪かったらしい)にいいと聞いて集めた(集まった)柿の葉が変色して食べられなくなったとき、人がくれた薔薇の葉を「青い葉なら薔薇でもいいだろう」と食べ、さらにはパンジイの葉まで食ってしまう主人公「魔利」(もちろん、これは随想風な趣なのでご本人)。この方にかかっては我々凡人にはけっして近づけない有名人・知人も形無し。父親のことと私生活が話題になりすぎるのは、まさにこだわりどころが凡人とは異なる自意識。それが、独特の美意識を生んでいることが、この「怪」女の動物的本能のなせるわざではあります。
 いつも周囲から無視され(無視されたように心身で受け止め)子供のように扱われ(子供のように心身ともに生きている)、(自惚心から)怒りに燃える「魔利」。悪魔的「動物」に自らをなぞらえて生きている(生活して、とはいえずに)森茉莉さんの面目躍如の小説でした。
 文豪の娘といえば、幸田文さんもその一人。が、作品は、当たり前ですが、格段の相違。自らを「姫」と称するほどですから。古典の「虫めづる姫君」にあやかったわけではないでしょうが。
 この人の前には、残りの二人の存在は、何だか影が薄かったようです。
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