本屋で衝動買いしたバッハ『ゴルトベルク変奏曲』世界・音楽・メディア 。だが、結構頭を悩ます本でもある。
みすず書房の本は、値段は高いけれども、良質のものが揃っている、というのがバーディーのいわば固定観念であった。例えば、前にも触れたが、『白鯨』アメリカン・スタディーズ は大変な名著である。だが、「ゴルトベルク変奏曲」は・・・。
丸谷才一氏いわく、文章の最低限の要請は、「達意」、すなわち、意味が通じることである。私見では、「ゴルトベルク」については、この要請を満たしていないと思う。
例えば、
「---ジル・ドゥールーズがライプニッツを中心にしながらバロックを論じた『襞』の一節。けっしてわかりやすくはない。でも、バロックにおける「力」のありよう、音楽における「メロディ/通奏低音」の力学がみごとに描きだされている。そして、こうした「メロディ/通奏低音」と「カノン」が交差するところに、バッハを浮かび上がらせてみたいな。」(p102)
「ライプニッツを『中心にしながら』バロックを論じ」るとは、どのような論じ方なのだろうか(これはまだ分からなくもない)。「メロディ/通奏低音」と「カノン」とが『交差する』とはどういうことなのだろうか。その『交差する』ところに、バッハが『浮かび上が』るとは、具体的にはどのような現象なのだろうか。・・・このように考えてくると、おそらく、書いている本人でもうまく説明できないだろう。
丸谷才一氏は、論理的な文章を書くために「漢文を読め」と勧める。なぜなら、漢文は、余計なものをそぎ落とした「論理」そのものだから。そして、漢文においては、当然のことならが、「何を言っているのかちんぷんかんぷん」という文章は、まず見られない。
みすず書房の本は、値段は高いけれども、良質のものが揃っている、というのがバーディーのいわば固定観念であった。例えば、前にも触れたが、『白鯨』アメリカン・スタディーズ は大変な名著である。だが、「ゴルトベルク変奏曲」は・・・。
丸谷才一氏いわく、文章の最低限の要請は、「達意」、すなわち、意味が通じることである。私見では、「ゴルトベルク」については、この要請を満たしていないと思う。
例えば、
「---ジル・ドゥールーズがライプニッツを中心にしながらバロックを論じた『襞』の一節。けっしてわかりやすくはない。でも、バロックにおける「力」のありよう、音楽における「メロディ/通奏低音」の力学がみごとに描きだされている。そして、こうした「メロディ/通奏低音」と「カノン」が交差するところに、バッハを浮かび上がらせてみたいな。」(p102)
「ライプニッツを『中心にしながら』バロックを論じ」るとは、どのような論じ方なのだろうか(これはまだ分からなくもない)。「メロディ/通奏低音」と「カノン」とが『交差する』とはどういうことなのだろうか。その『交差する』ところに、バッハが『浮かび上が』るとは、具体的にはどのような現象なのだろうか。・・・このように考えてくると、おそらく、書いている本人でもうまく説明できないだろう。
丸谷才一氏は、論理的な文章を書くために「漢文を読め」と勧める。なぜなら、漢文は、余計なものをそぎ落とした「論理」そのものだから。そして、漢文においては、当然のことならが、「何を言っているのかちんぷんかんぷん」という文章は、まず見られない。