Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

「達意」ということ

2007年03月21日 16時32分27秒 | Weblog
 本屋で衝動買いしたバッハ『ゴルトベルク変奏曲』世界・音楽・メディア 。だが、結構頭を悩ます本でもある。
 みすず書房の本は、値段は高いけれども、良質のものが揃っている、というのがバーディーのいわば固定観念であった。例えば、前にも触れたが、『白鯨』アメリカン・スタディーズ は大変な名著である。だが、「ゴルトベルク変奏曲」は・・・。
 丸谷才一氏いわく、文章の最低限の要請は、「達意」、すなわち、意味が通じることである。私見では、「ゴルトベルク」については、この要請を満たしていないと思う。
 例えば、
「---ジル・ドゥールーズがライプニッツを中心にしながらバロックを論じた『襞』の一節。けっしてわかりやすくはない。でも、バロックにおける「力」のありよう、音楽における「メロディ/通奏低音」の力学がみごとに描きだされている。そして、こうした「メロディ/通奏低音」と「カノン」が交差するところに、バッハを浮かび上がらせてみたいな。」(p102)

 「ライプニッツを『中心にしながら』バロックを論じ」るとは、どのような論じ方なのだろうか(これはまだ分からなくもない)。「メロディ/通奏低音」と「カノン」とが『交差する』とはどういうことなのだろうか。その『交差する』ところに、バッハが『浮かび上が』るとは、具体的にはどのような現象なのだろうか。・・・このように考えてくると、おそらく、書いている本人でもうまく説明できないだろう。
 丸谷才一氏は、論理的な文章を書くために「漢文を読め」と勧める。なぜなら、漢文は、余計なものをそぎ落とした「論理」そのものだから。そして、漢文においては、当然のことならが、「何を言っているのかちんぷんかんぷん」という文章は、まず見られない。
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米検事正全員罷免(未遂)事件

2007年03月21日 13時11分38秒 | Weblog
Bush accuses Democrats of ‘partisan fishing’(NBC)
Bush Clashes With Congress on Prosecutors (ニューヨーク・タイムズ)

 最近珍しく一読してもよく意味の分からぬ重大記事。
 詳細は不明なれど、大統領側近が8名(全員)の連邦検事正の罷免を画策したとされる理由について、民主党は政府高官の汚職を捜査しようとしたためだと考えているらしい。
 日本でも、法務大臣には指揮権があるものの、検察官の罷免まではできない(さもなければ、検察官の独立性は保てない)。アメリカではそれが可能なのか?
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シネフィル・菊池凛子

2007年03月21日 10時49分41秒 | Weblog
「好きな監督はジョン・カサベテス」。菊地凛子はシネフィル?
 「映画は大好きで、チャンバラを見ると居合いを習い、西部劇を見ると乗馬を習ったぐらい影響力があるの。手当たり次第に見るんだけど、私の生涯のベストワンは『ミニー&モスコウィッツ』。ジョン・カサベテス監督の作品が大好きなの」。今後どんな手を使ってでも演じてみたい映画のキャラクタートップ3を、過去の作品から選んでもらった。「3位は『ポンヌフの恋人』(レオス・カラックス監督)のジュリエット・ビノシュ、2位は『SWEET SIXTEEN』(ケン・ローチ監督)の男の子(マーティン・コムストン)、そして1位はジョン・カサベテス監督の『こわれゆく女』のジーナ・ローランズ!」

 今はなき六本木の「シネ・ヴィヴァン」は、バーディーの青春時代の思い出の宝箱である。中でも、ジョン・カサヴェテス監督のシリーズはほぼ全て見ており、とりこになったものである。
 もっとも、カサヴェテスといえば、一般の映画ファンにとっては、映画監督というよりも、「ローズマリーの赤ちゃん」の主役俳優としての方が有名かもしれない。
 菊池凛子のすごいところは、いきなり「こわれゆく女」のジーナ・ローランズ(カサヴェテスの妻でもある)を選択したところである。家族の紐帯が信じられず、精神が崩壊してゆくこの主婦の役を演ずるのは、並大抵のことではない。やはり、菊池凛子は、只者ではないのである。
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動かないことが消費を刺激する?

2007年03月21日 10時30分24秒 | Weblog
 かつて、Eコマースが出始めのころ、
「わざわざ商品のあるところまで移動していくのは経済効率が悪い。インターネットの時代には、むしろ動かないことの方が新たな消費を生み出す」
と喧伝されたのを覚えている。だが、果たしてそうだろうか?
 個人的な体験だが、最近、ある法律の専門書を書店とアマゾンで1冊ずつ購入した。そこで、時間とコストを比較する。
 まず、時間についていうと、書店で買うのは即日だし、アマゾンは3~4日かかったので、時間的には書店の方が勝る。 
 次に、コストについては、書店では交通費が100円程度、対するにアマゾンでは送料が数百円かかるものの、新品同様の商品を中古価格で購入できたので、1000円は得したと思う。
 まとめると、900円の金と2日間の時間のどちらを取るかという問題に帰着する。よほど喫緊の場合でなければ、アマゾンの方がお得ということになるのだろう。そして、900円分余計に消費できるのである。
 ところが、これで問題は終わらない。書店に直接出向くと、他にも欲しい本を買ったり、帰りがけにコーヒーを飲んだり、他の店に立ち寄ったりする。要するに、消費を刺激される。これを経済全体の見地から「プラス」になると見ることもできる。
 結局のところ、どちらが消費をより刺激するかは、バーディーには分からない。
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