シューベルト:美しい水車屋の娘(ディートリヒ・ヘンシェル)
「ここでゲーテに登場してもらおう。彼も失恋の苦しみで死の思いにとらわれた。しかし小説『若いヴェルターの悲しみ』を書き、そのなかで失恋に苦しむ主人公を自殺させることで、ゲーテ本人は生き返ることができた。つまり作中で自死するヴェルターはゲーテの身代わりになったわけだ。
シューベルトはその影響を直接受けたわけではない。だがゲーテとおなじ直感が働いて、粉職人を自殺させることで彼自身は死の淵から生還しようとした。連作歌曲集<美しい水車屋の娘>にそんな『自己救済』の手立てが隠されている。」(喜多尾道冬氏の解説)
シューベルトは、ゲーテと同じように、自作の主人公を自殺させることで、自分を救済したという見方である。
だが、これは「ヴァーチャル自殺」にほかならず、とても健全とは思えない。
ドイツの芸術には、どうやらこういう不健全?な側面があるように思われる。
「ここでゲーテに登場してもらおう。彼も失恋の苦しみで死の思いにとらわれた。しかし小説『若いヴェルターの悲しみ』を書き、そのなかで失恋に苦しむ主人公を自殺させることで、ゲーテ本人は生き返ることができた。つまり作中で自死するヴェルターはゲーテの身代わりになったわけだ。
シューベルトはその影響を直接受けたわけではない。だがゲーテとおなじ直感が働いて、粉職人を自殺させることで彼自身は死の淵から生還しようとした。連作歌曲集<美しい水車屋の娘>にそんな『自己救済』の手立てが隠されている。」(喜多尾道冬氏の解説)
シューベルトは、ゲーテと同じように、自作の主人公を自殺させることで、自分を救済したという見方である。
だが、これは「ヴァーチャル自殺」にほかならず、とても健全とは思えない。
ドイツの芸術には、どうやらこういう不健全?な側面があるように思われる。