会議の政治学Ⅲ 中医協の実像 森田 朗
「しばしばみられたのが、分科会の報告について、総会で、とくに診療側から、異論が出るケースである。その報告の方向が、診療側の利益に反するとき、診療側委員が、報告の問題点を指摘し、それを総会で承認することに反対した。専門家から構成されている分科会の場合、事務局の意向に沿った報告になりがちであることもあり、それをひっくり返そうとするのである。
・・・支払側・診療側で意見が分かれる問題について、その部会等で議論を戦わせ、ようやく合意をみた場合、部会等で自分たちの主張を結論に反映させることができなかった側の委員から、敗者復活戦が挑まれるのである。」(p145~146)
「・・・同意して判断を公益裁定に委ねたいもかかわらず、その結果が気に入らないときには席を立つ、という抗議行動があったことは、前述した。2010年の改定時の診療所の再診料の引き下げに関する公益裁定のあと、診療側の委員が、・・・「今回、診療所の再診料の引き下げに至ったのは、診療所の収益を減らそうとする財務省、財政審が元凶だ。」と述べて退席したケースである。
・・・抗議して退席するのは裁定そのものを否定することであり、たとえ責任は財務省にあるといったとしても、重大なルール違反、信義則違反と受け止めざるを得ない。」(p155~156)
引用したのは、中医協における診療側委員の言動に関する記述である。
「しばしばみられたのが、分科会の報告について、総会で、とくに診療側から、異論が出るケースである。その報告の方向が、診療側の利益に反するとき、診療側委員が、報告の問題点を指摘し、それを総会で承認することに反対した。専門家から構成されている分科会の場合、事務局の意向に沿った報告になりがちであることもあり、それをひっくり返そうとするのである。
・・・支払側・診療側で意見が分かれる問題について、その部会等で議論を戦わせ、ようやく合意をみた場合、部会等で自分たちの主張を結論に反映させることができなかった側の委員から、敗者復活戦が挑まれるのである。」(p145~146)
「・・・同意して判断を公益裁定に委ねたいもかかわらず、その結果が気に入らないときには席を立つ、という抗議行動があったことは、前述した。2010年の改定時の診療所の再診料の引き下げに関する公益裁定のあと、診療側の委員が、・・・「今回、診療所の再診料の引き下げに至ったのは、診療所の収益を減らそうとする財務省、財政審が元凶だ。」と述べて退席したケースである。
・・・抗議して退席するのは裁定そのものを否定することであり、たとえ責任は財務省にあるといったとしても、重大なルール違反、信義則違反と受け止めざるを得ない。」(p155~156)
引用したのは、中医協における診療側委員の言動に関する記述である。
議論による決定を否定するに等しい、野蛮な振る舞いというほかないが、こういう人たちが40兆円を差配してきたわけだ。
こうした言動は、「『現状』の維持又は打破を狙った外部勢力の援用」そのものではないけれども、診療側委員ないしその背後に控える集団が、目に見えないところで何を狙っているかを推知させるものである。
それは、やはり「外部勢力の援用」にほかならず、かつて実際に行われていたことである。
「かつては、診療報酬の決定において、日本医師会と政権幹部の大物政治家が密室で談合し、事務局の頭越しに決着させたこともあったそうだ・・・」(p69)
「外部勢力の援用」が行き着いた先は、犯罪、すなわち日歯連事件だった。
こうした言動は、「『現状』の維持又は打破を狙った外部勢力の援用」そのものではないけれども、診療側委員ないしその背後に控える集団が、目に見えないところで何を狙っているかを推知させるものである。
それは、やはり「外部勢力の援用」にほかならず、かつて実際に行われていたことである。
「かつては、診療報酬の決定において、日本医師会と政権幹部の大物政治家が密室で談合し、事務局の頭越しに決着させたこともあったそうだ・・・」(p69)
「外部勢力の援用」が行き着いた先は、犯罪、すなわち日歯連事件だった。
中医協を巡る贈収賄事件について(概要)をみると、支払側委員2名が買収されている点が注目される。
前に指摘したように、支払側委員の中には、「どうせ他人の金」といった感覚の、当事者適格が怪しい人物も紛れ込んでいたのである。
前に指摘したように、支払側委員の中には、「どうせ他人の金」といった感覚の、当事者適格が怪しい人物も紛れ込んでいたのである。
最近の五輪汚職もそうだが、「委員」の人選に問題のあるケースが後を絶たない。
この事件を契機として、2007年に制度改革が行われ、その結果、改定率は閣議で決定され、診療報酬の基本方針は社会保障審議会の医療部会と医療保険部会で決定されることとなった。
中医協の権限は大幅に縮小され、診療報酬のいわゆる「総枠」は外部で決定されるようになった。
つまり、かつての公共事業予算と似た状況になったわけである。
この事件を契機として、2007年に制度改革が行われ、その結果、改定率は閣議で決定され、診療報酬の基本方針は社会保障審議会の医療部会と医療保険部会で決定されることとなった。
中医協の権限は大幅に縮小され、診療報酬のいわゆる「総枠」は外部で決定されるようになった。
つまり、かつての公共事業予算と似た状況になったわけである。