Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

不死鳥とアダルトチルドレンと棺桶からの脱出(1)

2022年10月07日 06時30分12秒 | Weblog
海外招聘公演 ガラスの動物園 The Glass Menagerie
 「フランス、パリの国立オデオン劇場の協力のもと、2020年3月にオデオン劇場制作によりワールドプレミアを迎えたテネシー・ウィリアムズの代表作『ガラスの動物園』を招聘し日本初演します。・・・
 主演のアマンダ役にはフランスを代表する女優であり、映画、舞台と幅広く活躍するイザベル・ユペール、演出には、話題作を次々と発表し、今最も世界が注目する演出家、イヴォ・ヴァン・ホーヴェがあたります。


(以下ネタバレご注意!)
 私は、「ガラスの動物園」はテネシー・ウィリアムズの最高傑作だと思うし、「欲望という名の電車」よりこちらの方が好きである。
 珍しく中劇場での上演となったが、何よりイザベル・ユペールの演技力が圧倒的で、言葉の壁など感じさせない大迫力である。
(これと比べると、今年観た芝居の中では一番の出来といってよかった「M. バタフライ」の内野聖陽さんの熱演すら、気の毒だが霞んでしまうほどである。)
 ところで、原作とはまるで違った印象を与える芝居があるが、今回の「ガラスの動物園」はどうだろうか?
 私見では、演出者の腕が良く、作者の意図が十二分に表現されていると思う。
 私は、学生時代に原作を新潮文庫版(ガラスの動物園 テネシー・ウィリアムズ/著 、小田島雄志/訳)で読んで、「『女(母と姉)の世界』からのトムの脱出劇」という印象を受けたのだが、それは浅い理解であった。
 今回の演出を行ったイヴォ・ヴァン・ホーヴェの解釈では、母:アマンダは、「ノックアウトされたあとでも・・・灰から蘇る不死鳥(フェニックス)」であり、私が補足すると、第二次大戦後世界を席巻することになる「生活(力)至上主義」の化身である。
 これに対し、息子:トムと娘:ローラは、精神的にあるいは経済的に自立できない、いわゆる「アダルトチルドレン」であり、二人とも、アマンダの支配からの、あるいは、共依存関係にある「家族」という共同体からの脱出を図っている。
 弟のトムは、一家の稼ぎ頭であるが、無味乾燥な倉庫での仕事に嫌気がさし、毎晩街に出て現実から逃避している「詩人」である。
 彼は、街で「誰にも気づかれず、何の損害も与えずに、棺桶から抜け出す」マジックを見て、「外側への脱出」を夢見る。
 ここで「棺桶」が、アマンダないし家族のメタファーであることは明らかである。
 他方、足に障害を持つ姉のローラは、”劣等感”ゆえに「引き籠もり」状態に陥っている(彼女は、生活(力)至上主義者であるアマンダのネガのようでもある。)。
 彼女は、アマンダに内緒で高校を中退した後、毎日美術館に出かけたり、家でガラスの動物のコレクション=「ガラスの動物園」の手入れにいそしんだりして、時間をつぶしている(Mennagerie に相当する日本語がないので、「動物園」と訳されているが、これだと誤解を生むおそれがある:zoo と menagerie の違いとは?)。
 ローラは、トムとは反対に「内側への脱出」を図っているわけだが、「ガラスの動物園」は、「時間をまぬがれている純粋に幻想の世界」(イヴォ・ヴァン・ホーヴェの言葉)のメタファーなのである。
 ・・・こういう風に見ていくと、「トムを主人公とする、『女(母と姉)の世界』からの脱出劇」という、私のかつての理解がいかに浅薄なものであったかを思い知らされる。
 また、今回気付いたのは、主人公であるトムとローラは、神話の祖型の一つである「きょうだい神」がモデルであり、「脱出」は”世界創造”のメタファーであるという点である。
 小説を読むたびに新たな発見があることはよく分かっていたが、芝居もやはり同じなのだ。
 
コメント
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