「父の死により久しぶりに再会した兄弟は、父の遺品によって予期せぬ事件に巻き込まれていく。
パンクロックグループのリーダーである弟のアルトゥルは、コンサート会場にやってきた兄イェジから、疎遠になっていた父が亡くなったことを告げられる。父のフラットを訪れた兄弟は、彼が膨大な切手コレクションを残していたことを知る。父のコレクションに計り知れない価値があることを知った兄弟は次第にコレクションへの執着を募らせ、偏執的になっていく......。」
パンクロックグループのリーダーである弟のアルトゥルは、コンサート会場にやってきた兄イェジから、疎遠になっていた父が亡くなったことを告げられる。父のフラットを訪れた兄弟は、彼が膨大な切手コレクションを残していたことを知る。父のコレクションに計り知れない価値があることを知った兄弟は次第にコレクションへの執着を募らせ、偏執的になっていく......。」
このシリーズの掉尾を飾る「デカローグ10」の表題は、「ある希望に関する物語」。
十戒で言えば、「汝、隣人の財産を欲するなかれ」に対応している。
切手コレクターの父が死に、莫大な価値のあるコレクションを相続してそれまでの生活が一変する兄弟(兄:イェジと弟:アルトゥル)が主人公である。
父のコレクションで唯一欠けているのが「赤いメルクリウス」。
これは、「お金では買えない」代物である。
映画版について詳しい解説が載ったサイトを見つけた。
「「赤いメルクリウス」を手に入れようと切手商の男と会うのですが、取引に血液検査?血液型?の診断結果が必要って。兄弟は欲深くなっているから疑うこともなく、切手とその男の娘に腎臓を与えることに🩸に応じる。あぁ人間ってーー!
兄イェジーの手術中に全部盗まれちゃうんですよ。兄が心配なアルトゥルは病院に泊まっていた、その夜に。アルトゥルのファンだというナースまでグルだったことが映像でわかります。
退院して兄弟はこれまでの生活に戻るのですが、ある日、郵便局の窓がふと目に入り、切手を書います。トメクから!!!(あ、デカローグ6で自殺未遂をおこしたトメクがね!!兄弟に切手を売ったんですよ。元気になってよかったーーー。) 」
二人は、「赤いメルクリウス」を手に入れようとして騙され、父のコレクションの全部を失ってしまう。
それどころか、イェジは父の借金返済のため処分した車と、自身の片方の腎臓まで失い、相続開始前よりも状況は悪化する。
だが、二人はそこで絶望するのではない。
おそらくそれほど高価でない、「新しいシリーズの切手」(3枚セット)を、二人は偶然にもそろって購入し、見せ合って喜ぶ。
「新しいシリーズだ!」
という二人の声は、希望に溢れている。
台本を書いた須貝英氏も指摘するとおり、監督らが言いたかったのは、(やや月並みな結論かもしれないが、)
「すべてを失くしてしまっても、また始めればいい」
ということだろう。
・・・というわけで、私がまだ観ていない映画版「デカローグ10」には、肝心かなめの、
「新しいシリーズだ!」
と兄弟が声を揃えて叫ぶシーンが出て来ると推測する。
ところで、この「デカローグ10」と似た状況を卑近な例で例えると、
「サマー・クラークで、夢にまで見た”ヨンダイ”の内定を獲得し、猛勉強して司法試験本番に臨んだが、不運にも失敗して不合格となり、採用担当パートナーから『内定取消し』を告げられるロースクール卒業生」
などというものが考えられる(ロースクールにおける人格蹂躙とクソな競争)。
だが、全く絶望する必要はない。
これによって、もはや怪しげな猫やキツネがあなたに寄って来ることはなくなるだろうし、自身が「最後の一人」に近い状況に置かれたことによって、法の原点(「最後の一人」を守る)に近づくことが出来たのである。