以上は、橋本氏の「マイノリティ・ポリティクス」的視点についての大雑把な理解(あくまで私見)であるが、次に、舞台装置について押さえておく必要がある。
なぜなら、橋本氏の芸術においては、「第三のステージ」性が大きな特徴の一つとなっているからである。
具体的に言うと、「饗宴」の舞台は、手前に「オープン・ステージ」(というか、普通のオープン・スペース。便宜上、「1階」と呼ぶことにする。)があり、その奥の一段高いところに「プロセニアム・ステージ」(便宜上「2階」と呼ぶことにする。)という構造となっている(オープン形式とプロセニアム形式の違いについては、「多様な上演スタイルに対応する自由な空間」が分かりやすい)。
しかも、1階と2階の境界=段差の部分、つまり”壁”には、かつての「ベルリンの壁」のように、びっしりと落書きが書き込まれている。
出演者は、1階と2階を、基本的にはエレベータに乗って移動するのである。
これだけをとってみても、橋本氏が、劇空間に「二重(二段階)構造」を導入したことが分かるが、それだけにはとどまらない。
1階と2階には、スタンドに乗ったカメラが1台ずつ(2階は2台だったかもしれない)備え付けられており、その映像が2階の奥のスクリーンに映し出される。
つまり、観客は、肉眼で直接的に出演者・舞台を見ると同時に、カメラによって映し出された出演者・舞台を見ることになり、これによって、視覚上の「二重(二段階)構造」が仕組まれているのである。