「2022年11月、斎藤知事が公務出張で訪れた同県上郡町の町長から、特産品であるワインについて話が出た際に「まだ飲んだことがないから味がわからない。飲んでみたい」「折を見てお願いします」と、知事からワインの贈呈を“おねだり”する内容があったことを明かしていた。
また、斎藤知事が2023年9月、同県丹波市の事業所を視察した際、事業所が製作した、売りものでない木製の椅子とサイドテーブルを持ち帰っていたことも明らかになっている。」
菊池「別に目標があって辞めるわけではなく、もっと漠然としたものでしたから、周りの人から見れば、なぜバレエ団に名前を残さなかったのかと思われたかもしれません。・・・ぼくは十六歳のときからバレエ団にお世話になってきました。牧阿佐美バレエ団はすごく歴史のあるところですから、時代を作り上げてきた方々のなかに、ポッと出で入った十六歳のぼくができることと言ったら、カンパニーにずっと居続けて、すべての知識、すべての技術、すべての時間を受け入れ続けることだったんです。・・・だから、バレエ団を離れても名前を残させていただいてやっていくというのは、そういう自分から一度離れてという自分のなかの考えとは違ってしまう。」(p79)
ニーチェ先生によれば、人間の精神が自由を獲得して創造へと向かう過程は、”駱駝”→”獅子”→”幼子”という3つの段階に分かれる(三段の変化 )。
私見では、斎藤知事も菊池さんも、現時点では”獅子”の段階にあると思える。
現在の日本の若い世代(とはいえ、おおむね50代以下)は、実は、世界のトレンドからまるごと取り残されている(最後の棒倒し(10))。
なので、斎藤知事も菊池さんも、世代的には「乗り遅れた人たち」に属している(おそらく、二人とも海外留学や海外勤務の経験がないのでは?)。
敏感な人であれば、こういう「乗り遅れ」を生み出した原因であると同時に「乗り遅れ」の結果でもある日本の国家・社会の問題に気づくだろう。
問題の最たるものが、(伝統的なイエ原理に根差した)集団志向・集団思考であり、これを逃れようとすれば、斎藤知事が総務省を退官したように、あるいは菊池さんが牧阿佐見バレエ団を退団したように、いったん組織(イエ)との縁を切る(出家!する)しかない。
この状態が、はた目には”獅子”のように見えるわけである。
だが、問題はその後である。
”出家”が中途半端であり、依然として別の「組織」(イエ)に入ってしまう人物の中には、今度はその「組織」(イエ)の中で頂点に立ち、構成員を「支配する」ことを目指すような人がいる。
こうして、”獅子”は”幼子”になることに失敗し、より悪質な”獅子”(あるいは”恐竜”となる。
・・・なので、私は、菊池さんには、ぜひ”幼子”に変身してもらいたいと思うのである。
亡くなった元県民局長に合掌。