「1998年に新国立劇場で『セビリアの理髪師』を指揮した時もオーケストラと合唱団は素晴らしかったのですが、今回の『リゴレット』ではそのレベルの高さに驚きを隠せませんでした。私たちイタリア人指揮者は、イタリア・オペラの演奏をよく知るオーケストラに慣れていますので、その点を少し心配していたのですが、杞憂でした。」
「私が特に愛している場面は、第1幕のフィナーレです。プッチーニが作り出したコントラストはまさに天才的です。スカルピアはモノローグで、独りよがりな色欲により、狙った女性をサディスティックな悪の手口で征服しようとする意志を歌います。その後ろでは、合唱が神を讃える「テ・デウム」を歌っています。俗と聖の対比、悪と善の対比、無信心と宗教心の対比です。非常に距離のある2つの心情であり、それを表現する鐘の音、オルガン、合唱など様々な音色に感情をひどく揺さぶられます。その瞬間は素晴らしいの一言です。」
ベニーニ氏は、「リゴレット」の時も素晴らしかったのだが、指揮者の能力が素人にもはっきり分かる典型例だと思う。
音符や作曲家の意図が、ベニーニ氏の手と体の向き・動き、息遣いなどによって”可視化”されており、明確にメッセージが伝わるのである。
もちろん、尾高先生によれば約10日間の準備期間でラフマニノフの交響曲1番を仕上げたという(曲の生い立ち)、東フィルの団員さんの力も凄い。
さて、「トスカ」について、ベニーニ氏は、やはり1幕フィナーレの「テ・デウム」をお気に入りの場面として挙げている。
私がこれまで観た/聴いた中で最も素晴らしかったのは、ブリン・ターフェルがスカルピア役を演じた2023年の東京春音楽祭の「トスカ」である(パクリ疑惑)。
ベニーニ氏も指摘するように、「テ・デウム」を含め、「トスカ」の要所には、「コントラスト」による場面構成が出現する。
① 1幕:フィナーレ(「テ・デウム)
俗と聖、悪と善、無信心と宗教心、独唱(スカルピア)と合唱(聖歌隊)
② 2幕フィナーレ(トスカによるスカルピアの殺害と”許し”)
トスカ「死ね、罰当たりめ!死ね!死ね!」
(殺害後)
トスカ「死んでしまった!もう彼を許してやるわ!」
(中略)
(出て行こうとしたが、考え直し、左手の棚の上の二本のローソクを取りに行く。テーブルの上の燭台で火をつけ、燭台の火は消す。スカルピアの頭の右側に火のついたローソクを一本置き、もう一本を左側に置く。再び辺りを見回し、十字架を見つけると壁からそれをはずしに行く。恭しく運んでくると、ひざまずき、スカルピアの胸の上に置く。・・・)
③ 3幕:第2場
穏やかな生の賛歌(チェロの四重奏)と死を前にした絶望の叫び(「星は光りぬ」の独唱)
④ 3幕:フィナーレ(死んだふりをしているはずのカヴァラドッシが死んでいたのを見て自殺するトスカ)
歓喜から悲嘆へ、希望から絶望へ、生から死へ
こういう風に見て行くと、やはり原作が素晴らしいということに尽きるようだ。
つまり、ヴィクトリアン・サルドゥは、成功請負人だったのである。
リヒャルト・シュトラウスにとってのフーゴ・フォン・ホーフマンスタールのように。