「シカゴ」(ポリコレ視点でみる「シカゴ」)もそうだったが、私は「天使にラブソングを」の映画もミュージカルもみたことがないので、今回は先入観なく楽しむことにした。
まず、「天使にラブソングを」という邦訳が不適切であると感じる。
原題は ”Sister Act” であるが、”Act” には名詞と動詞の二重の意味が込められている。
すなわち、「シスター(修道女)のアクト(芝居)」という意味と、「シスター(修道女)をアクトする(演じる)」という意味である。
これではさすがに翻訳不能なので、「天使にラブソングを」としたのだろうが、これだと原題の意味から大きく外れてしまっている。
次に、設定が実にアメリカ的であることを痛感する。
アメリカで暮らしたことがある人なら分かると思うが、アメリカ社会において、(もちろん例外も多いけれど、)カトリック教徒は「厳格で、ちょっと冗談が通じない堅物」、カトリック教会は「権威の象徴」のようにみられることが多い(と思う)。
なので、マフィアの愛人でクラブ歌手であるデロリスが、こともあろうに修道院の聖歌隊の指導を担当するという設定は、ハナから「権威主義」への反抗という意味を帯びている(と思う)。
そのことを示すのが、彼女が連発する”fabulous”という単語である。
これは、主に女性が使う形容詞で、通常は「素敵」、「素晴らしい」などと訳されているが、おそらく日本語には翻訳不能であり、あえて訳すとすれば「サイコー!」くらいが近いだろう。
「勝手にしやがれ!」が”dégueulasse”(最低!) という形容詞によって駆動されていたのと同様に(唯一の共同作品(1))、「天使にラブソングを」は"fabulous"(サイコー!)という形容詞によって駆動されており、しかもこの形容詞は、権威という壁をぶち壊す役割を担っているのである。
さて、アメリカ社会においては、無分節的な集団(典型は軍隊)は例外的なものとされているが、修道院は数少ない例外の一つである。
そのことを示すのが、後半に出てくるデロリスの以下のセリフである(記憶に基づいて再現しているので、不正確かもしれない)。
「客も名声もいらない、シスターたちという仲間がいればいいの。」
デロリスは、見事に権威という壁をぶち壊した。
カーティスがロドリスに銃口を向けると、他のシスターたちは次々と、
「私を身代わりに!」
と述べてその前に立ちはだかるが、このシーンはカルメル会修道女たちの殉教(カルメル会と四十七士、あるいは殉教と殉死)を彷彿とさせる。
むむむ、「シスター・アクト」は「カルメル会修道女の対話」のコメディ版だったのか!?