パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

どうする家康 いよいよ長篠

2023年05月17日 08時19分46秒 | 新城・地元に関すること

大河ドラマの「どうする家康」は、どうやら6月4日と11日の2回に分けて
新城市が主な舞台となるエピソード(長篠の戦いの鳥居強右衛門と
設楽原の馬防柵)が放映されるようだ

それに合わせて新城市では、ドラマで鳥居強右衛門役を演じる岡崎体育さんと
亀姫役を演じる當真あみさんのスペシャルトークショーを6月11日に行うこととした
5月13日から観覧希望の応募は始まって、老人の多い新城市でネットのみの
応募にもかかわらず4日間で800名ほどの応募があったそうだ
(予定は1200名 市は一つの応募で2名までとしているから
 既に1600名の希望者があったとしている)

また、4日と11日には設楽原歴史資料館ではパブリックビューイングも
計画されていている

同時進行のような形で昨日(16日)午後2時から、JA愛知東本店の3Fホールで
東三河ふるさとガイドの高田さんによる「どうする家康 いよいよ長篠」
と題された歴史の学び塾が開かれた

今朝の中日新聞にこの様子が掲載されている

定期的にこの会場で行われる やまびこ大学「学び塾」も今回の傍聴者は
いつもよりずっと多くて120名
冒頭の挨拶では、今までで一番多いとタイムリーな企画を誇らしげだった

内容は

なんとなく知っている話も、歴史資料から裏付けされて紹介されると
リアリティがだいぶ違う
配布された資料には家康からの手紙、信長からの手紙などの
候文(そうろうぶん)が画像としていくつかまとめられているが
その殆どは素人には全く読めない
それを解説する講師の高田さんも、いきなり読めるようになった
のではないだろうから、そのかかった時間を思うと
好きなこととはいえ大変だと実感する

講座の内容は新聞記事にある通りで、長篠の戦いに対する現状認識は
武田方も織田方も楽観視していたようだが
戦いの最前線を陣取らざるを得なかった家康は不安を覚えていたとか
合戦絵図の陣営の配置図は、家康軍が一番危険な場所、
その後ろに織田軍が控えているなど、味方同士の力関係も見られる

ところで、現在の飯田線の鳥居駅のきっかけとなった
鳥居強右衛門(とりいすねえもん)は、今回の放映で瞬間的には
知名度が上がると思われるが、彼のエピソードは時代によっては
都合よく利用される危険性があった
それはお家のための命をかけた奉公とか勇気のある行為の評価に繋がり
恐らく戦前では、それが国家に対する姿勢もこうあるべき!
との雰囲気作りに使われてしまった

地元では鳥居強右衛門と一緒に岡崎まで救援を求めに行った人物として
鈴木金七郎が伝えられている
彼は岡崎で役目を果たしたのち、作手で農民として生きたとされているが
農民として生きたこの人の生き方の方を評価すべき!
と訴えている人たちが地元にはいる

勇ましく派手な出来事は目につくが、知られていないどころか
無視されるような悲しい出来事も数多くある
武田と同盟を組んだ人質として預けられた人間が、
同盟を破棄し徳川についいたために人質は殺されてしまったり
武田勝頼の妻はもともとは北条家の人間で
武田勝頼は自らの最後を自覚した時、妻に北条家に戻るように伝えたが
彼女はそれを断り、彼と同じ運命を選んだとする手紙が残っているが
それは涙なしには読めないと、、講師役の高田さんは語る

自分は英雄とされる人物よりも、こうした運のない人が気になって仕方ない
井伊直弼の手下となって働いた「村山たか」とか
悲劇的な死を迎えた大津皇子とか

ということで、昨日の火曜日の午後は
いつになく有益な時間を過ごすことができた


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あまり知られていない2つの話

2023年04月22日 19時25分55秒 | 新城・地元に関すること

新城市の広報誌によれば「どうする家康」におそらく市外の人は
あまり知らない武将の鳥居強右衛門が5月に登場するとあった

新城中心部から国道151号線を飯田方面向かって走ると長篠城のあたりに
褌すがたで磔にされた武将のインパクトのある看板が出てくるが
この武将が鳥居強右衛門で、彼は教科書にも掲載される長篠の戦いで
窮地に陥った長篠を救うために岡崎の徳川家康まで援軍を求めにいった人物だ

鳥居強右衛門と鈴木金七郎の二人で出かけたとの説があるが
鈴木金七郎は役目を果たしたのち農民となり
鳥居強右衛門は城に戻る途中で武田方につかまり
城を明渡すように伝えれば命は助けるとの条件を提示されたが
彼は大声でもうすぐ援軍がくる、、と叫んだために
ふんどし姿で磔になったのだった

この話は新城の人間なら知っている
(授業で聞いた気がする)
鳥居強右衛門は全国区はないがNHKの関係者が新城をロケハンした時に
磔姿の看板を見て、これはエピソードとして扱うことにしたらしい

だが先回の「どうする家康」では、鳥居強右衛門のストーリーと
そっくりの長い距離を走ってお市の方の伝言を伝えた女性の話があって
被るなあ、、、と心配してしまった

ところで、今回の話題は鳥居強右衛門ではなくて
新城市民は知ってるが、市外の人は知らないと思われる話
それはこの写真のエピソードのこと


武田信玄が新城の野田城を攻めた時に、銃で撃たれたという話だ
これは実は映画「影武者」で冒頭のシーンとして使われている
(映画に使われた城は姫路城だったそうだ)
そしてこの銃は「信玄砲」と名付けられて、設楽原歴史資料館に展示されている
この時の傷がきっかけとなって信玄は死に至ったというもので
これらは本当かフィクションかわからないが
フィクションにしても何故こんな話が生まれたのか興味が募る

「影武者」のラストシーンは、新城の設楽原の馬防柵馬のある戦いの場所で
何頭も馬が(ゆっくり)倒れていく光景が記憶に残っているが
つまりは「影武者」は最初と最後は新城市が舞台だったということだ

これらは雑学の部類だが、知ってる人は少しは自慢できるかも

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桜淵公園の桜

2023年03月25日 12時54分49秒 | 新城・地元に関すること

温かいというよりは暑かった昨日
駐車場にお金が必要となる前に、地元の桜の名所桜淵公園にでかけた

桜淵公園につながる新さくら通りは桜がもう満開だ
少し前は南北に走るこの道路の西側が咲いて、東側はまだだったのが
それこそ一気に咲いた感じ
道には桜の花びらの散ったものも見られる

右岸の駐車場の桜はこんな感じ


誰もが撮影する橋と桜は


橋から見る桜は




そして橋を渡って、祭り開催時には屋台が出てくる左岸の広場は


公園は自分以外にも割合多くの人がいた
(アジア系の女性のグループもいた)
ほとんどの人がスマホで撮影をしている
自分もスマホで撮影したが、困ったことに液晶画面が反射して
画面に写っている構図が全く見えない
そこで適当にエイヤッとシャッターを押しただけで写真は運任せだ

この公園、子供の頃は向こう岸までは橋ではなくて渡し船(無料)があった
そしてスピーカーからは高校野球のラジオ中継が流れていた
(つい、昔はのんびりしていたな!と感慨にふける)

しかし、日中のこの温度
肝心な祭りのときには桜は散ってしまっていそうだ
(今日の雨も心配!)




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初めて亀姫(家康の長女)ゆかりの大善寺に行ってみた

2023年01月22日 11時51分32秒 | 新城・地元に関すること

毎月、第4日曜日は新城軽トラック市(通称 のんほいルロット)
新城の中心部を自動車の交通を止めて
歩行者天国の形式で9時から12時まで行われる

ウォーキングがてらでかけているが
いつもは素通りする亀姫(家康の長女)通りの大善寺

今年くらいは覗いてみるか、、と境内に入ってみた

入り口の隣に亀姫とお寺さんの関係を記した看板があった


新城市では馴染みのある亀姫だが、大河ドラマ「どうする家康」で
有村架純演ずる瀬名姫(築山御前)の長女に当たる
新城にいた時間は多くなかったようだが、思い出の地のようだ

大善寺に入っていくと「亀姫のお墓」と書かれた案内看板が目に入る
文字がもう消えかかっているが、狭い場所なのですぐにわかる


ウキペディアによると亀姫のお墓は数箇所(新城市、岡崎市、岐阜市)あるそうだ

新城市は歴史的に重要な事件が起きた場所で
有名なのは馬防柵と三段撃ち有名な長篠の戦い
だがその前に、信玄の死と関係する野田城の戦いがある
映画「影武者」の冒頭では信玄が銃で打たれるエピソードがあるが
これは新城市内の野田城の出来事で、野田城跡を散策すると
信玄を撃った場所の看板が立っていて
フィクションではなく歴史上の事実として扱われている
信玄を撃ったとされる銃は「信玄砲」の名で新城市内の
設楽原歴史資料館の展示されている

ところで「どうする家康」の番組の最後の一分ほど短い関連地区の紹介コーナーに
新城市のどこかが早いうちに出るらしいが、どこなのだろうか?








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