パンセ(みたいなものを目指して)

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「上司の職務上の命令」の有り無し

2025年01月05日 09時47分53秒 | あれこれ考えること

兵庫県知事選とか豊橋市長選を眺めていると首長というのは
想像以上に大きな権力を持っていると実感する
地方自治体は二元代表制で首長、議員がそれぞれが市民から
独立して選ばれるので同等の力を持つと思われがちだが
実態は首長の権限のほうが圧倒的に大きい
それは大統領のような感じで、驚くべきことに県警等の予算は
知事の裁量の範囲だそうだ
(だからこそ斎藤知事の告発の場所は神戸地方検察庁と
 兵庫県警察本部に分かれているらしい)

以前、ここで首長に従う公務員のメンタリティというか
働き方についてあれこれ考えたことがあったが
今になって何となくわかった気になれたことがあった

以前考えたことは公務員の宣誓書のことで、新城市では
公務員になったときに以下のような宣誓書を提出する

「わたくしは、主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し
 かつ、擁護することを誓います。
 わたくしは、地方自治の本旨を体するとともに公務を民主的かつ能率的に
 運営すべき責務を深く自覚し、全体の奉仕者として誠実かつ公正に
 職務を執行することを誓います。」 

なんてことない文章だが、これを国家公務員のそれと比べると
その違いが気になる 国家公務員のほうはこうだ

「私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います。

自分が気になったのは、国家公務員の方に見られた(上司の職務上の命令に従い)の文章が地方自治体の方にはないことだ

この宣誓は国家公務員法とか地方自治法に由来するものらしいが
そこには大きな違いはなく、これらの法には(上司の職務上の命令に従う)
という言葉は見られる
つまりは、何故か地方自治体の宣誓文だけ(上司の職務上の命令に従い)が
抜けている

それは何故なんだろう?というのが以前の疑問だった
だが、それから時間が経って、社会のいろんな現実の出来事を眺めるにつけ
この言葉の有り無しの理由が何となくわかった気がした

それは冒頭に挙げた首長の権力の強大さに由来することで
公務員が没個性的に(感情のない非人間的に)業務に携わるだけだったら
それは時として大きな間違いを起こしかねないと想像したからではないか

もう少しわかりやすく言えば公務員も、人としての良心とか倫理観とか
そうしたものの上にたって行動せず、単なる命令を実行するだけだったら
権力を持った人物は何事もできてしまうことになる
(それは一歩間違うと法体系に沿っているからの一言で暴走できてしまう)

だからこそ公務員は個人として(常識的・倫理的)の判断も必要で
その証として(上司の職務上の命令に従い)が抜けているのではないのか

と、まあ毒にも薬にもならないことを想像してみたが
最近の世界は緩やかな独裁を望んでいるような傾向があるだけに
それに対する抵抗として、取り上げてみた

最近は、法的に問題ないとされているが、人道的・倫理的にどうか
と思われることが、多すぎはしないだろうか






 

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