パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

成熟した音楽と可能性に満ちた音楽

2025年01月04日 09時22分39秒 | 音楽

正月の風物詩、ウィーンのニューイヤーコンサートを少しだけ見た
音響が素晴らしいムジークフェアラインで行われるが
音楽をみっちり楽しむというよりは雰囲気を楽しむ感じなので
集中力を要しないでいられる
その分つまらないので流し見ということになる

ウィーンフィルの奏者の中には女性がいた
かつてのウィーンフィルは男ばかりの団体だった
それがジェンダー平等の傾向に従って女性奏者も増えることになった
男ばかりを貫いていた時、女性ピアニスト、マルタ・アルゲリッチは
そのようなオーケストラとの共演は断っていた

ところで個人的には男ばかりのオーケストラもあっていいと思う
男の感じ方とか演奏の傾向とか、そこから生まれる音響は
個性的になって、それは一つの価値ではないかと思うからで
ブルックナーの音楽を男ばかりと女ばかりのオーケストラで演奏したら
随分違う印象を得られるのではないかと勝手に想像した

話は変わって小学校の学芸会(学習発表会)があったころ
小学一年生の合唱を聞くと本当に感動して涙が滲んだことがあった
音程がどうのとか上手く歌おうとか、そうした気遣いは全く無くて
ただただ大きな声で元気良く歌うその姿と音響は
本当に汚れがなくて清らかで、何も知らないことの可能性に満ちていて
知ったかぶりの大人の心を揺さぶるものだった

つまりは音楽は奏者の年齢とか感性によって違う印象を与えるということだ
昔、変なことを思いついて、だれかその試みをしてくれないかな!
と思ったことがあった
それはベートーヴェンの3番の交響曲「エロイカ」の演奏を
ベートーヴェンがこの曲を作曲した時の年齢の奏者ばかりを集めて
演奏したらどんな音になるか知りたいと思ったのだった
大家といわれるそれなりの年齢の音楽家によるものでなく
作曲家と同じ年齢ならば将来にたいする希望や挫折など
曲に込められたそうしたものを、リアルに現実的なものとして
表現できるのではないか、、と思ったのだった

作曲家が若い時の音楽と熟成してからの音楽
個人的なことを言えば、自分は若い頃、作曲家が晩年の音楽に惹かれた
ベートーヴェンでは32番のピアノソナタとか弦楽四重奏曲14番だとか
ブルックナーでは9番とか、モーツアルトではクラリネット五重奏だとか
それらからは達観した何かが感じられて耳を傾けたのだった
ただし今はその時とは違う感じ方をしている
それは自分の感じ方の変化を重ね合わせて全てを振り返るようになっている

自分は若いときに老成した音楽を求めた(?)が
反対にそれなりの年齢になった今は
作曲家が若い時の音楽に惹かれる
小学生の合唱みたいに可能性に満ちた音楽は
それだけでとても価値があると思えてしまう
(モーツアルトのディベルティメントK136とか
     ベートーヴェンのピアノソナタ一番とか弦楽四重奏曲一番とか)

誰にでも若いときはある
そしてそれはとても貴重な出来事
その貴重な時間経過を他人が見守るみたいなこと
それがいい歳をした人のなすべきこと
年始にちょいと真面目に思ったりした


コメント
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