パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

本好きの独り言

2021年02月18日 09時11分38秒 | あれこれ考えること

とんでもない程の読書家ではないが、本が好きだ
文字だけで表される情報を、ラジオの周波数をチューニングするかのように
集中してテキストの世界に合わせようとする
始めのうちは黙読している自分の声が脳の中で聞こえるような気がするが
そのうちにそうした声は聞こえなくなって、イメージとか漠然とした概念が
頭に定着して、それを味わうだけの状態になっていく

ただし、これは調子が良くないとできない
集中するまでに時間を要するものがある
ミステリーなどは比較的容易に、さほど集中しなくてもその世界に入っていけるが
小難しい本になると、読書モードになるまでが大変だ
それらの多くは文章の中にいろんな概念やら思いが込められているので
それらを想像しないと意味が理解できないことになる
いわゆる背景知識を読者が想像し得ないと単に文字面を眺めているだけとなってしまう

これは少しばかり面倒で、気合を要する作業なのでいつも容易に
その精神状態になれるわけではないがこれが苦痛かといえば
そんなことは無くてむしろ楽しんでいる
より刺激の大きいものをつい求めてしまう人の傾向の現れかもしれない

ところで人が得る情報は目から入るものが大半らしい
視覚からの情報(例えば写真)はパッと見ただけでいろんな事がわかったり
想像できたり、想像しなくても楽しむことはできる
だから楽ちんな情報交換として写真をメインとしたSNSが流行するのは理解できる

ブログでも写真を多く使ったものと、文字だけであれこれ投稿している人がいるが
閲覧は圧倒的に視覚を優先したほうが多い
それは自らの頭に苦労して思い浮かべる必要がないからと思ってしまうが
(写真のなかにはさすがプロと思わず感動するものもあるが)
テキストの中に込められた意味を悪戦苦闘して探ろうとするタイプの人間としては
このような楽ちんな情報の獲得に慣れっこになってしまう危険性を覚えてしまう
(写真が問題ありというのではなく、簡単すぎる理解の仕方に)

簡単な方へのシフトは、様々なことに見られる
機械の使い勝手が簡単になるのは良いが、簡単でないものを簡単に(単純に)
してしまうのはとても危ういように思えてしまう
その一つの傾向として社会的には「誰かが悪い」と単純化しすぎるのが見られる

それとは少し違うが、森さんの女性蔑視発言は
いつの間には本質とは別の「次のオリンピック会長は誰になるのか?」
といった問題に置き換えられている
youtubeの「#わきまえない女たち」で若い女性たちが、女性としての当事者意識だけでなく
社会の問題として取り上げた深刻な問題は、こうしたわかりやすい目前の問題に
すり替えられていつの間にか忘却のなかに埋もれてしまいそうな気がしている

文字からの情報を自らの想像力を駆使して何かを掴むという経験は
自分はとても有意義だと信じている
たとえ読み終えて何も覚えていないとしても、子供の頃の記憶のように
どこかに経験として保存されているのではないか
(記憶が脳にどのように保存されるのかは不思議で仕方ない)

消費される情報だけでなく、一旦経験として刻まれた情報
そしてそれを活用する自分自身の声
そうしたものが、一人ひとり当たり前のようになっていけば
わかりやすい単純なものばかりを好むようにはならないと思うのだが

残念、上手くまとまらなかった
ま、いいか

コメント
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