パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

男女の投稿の差は偶然か、必然か

2022年03月02日 09時55分04秒 | あれこれ考えること

単に自分が知らないだけなのだろうか
日本にいるロシア人の今回の戦争に関する悲痛な動画は
圧倒的に女性が多い(男性のは一つ見つけたが)

これはたまたまそうなっているのか、あるいは必然なのか
気になるところだ

ここからは想像の世界になるが、平和に対する思いとか
戦争への嫌悪感は女性の方が男性よりずっと強いのではないか
それは子どもを生むという生物学的な特性から
生命を守ることが何よりも優先されるのかもしれない
また考えればいくらでも出てくる「戦いは仕方ない」とする理屈よりも
直感的にノーと答えを出し勝ちなのではないか

女性は無条件に争いを好まず、男性はいろいろ理屈をつけて
物事をややこしくする
そうだとしたら物事の(政治的な)判断は男性だけで行うのは
片手落ちになるのではないか
物事はとりあえず多数決で決めることが多い
その多数決に男女比が偏っていたら、それは集団としての意志の反映になるのだろうか

政治とか企業の中にもジェンダー平等を求められているが
これはスローガンというより、そうしたほうがまともな社会ができるということではないか
(もっともその場を長らく与えられていなかった女性もそれなりの勉強とか努力が必要だが)

この男女の差を強く意識したできごとがあった
例のCLPの動画で行われた「わきまえない女たち」と題する対談がそれで
この番組は森元総理の女性蔑視とも思えるような発言をきっかけに
女性の識者が女性の現在の立場とか、その解決方法とか、
それにとどまらず社会としてどうあるべきかが真剣に討論されていて
男の身でもすごく参考になった
それは女性の問題だけではないと実感した

女性がここまで深く討論をしていて、顔も出して覚悟を決めて発言しているのだから
男性も同じ様にすればいいのに、、と思ったのは当然のことで、最初はその計画もあった

ところがそれは中止になった
そこで感じたのは「やっぱり!」という思いだった
男性はいろんな立場があって迂闊に言葉を発せない、、
そんな空気を想像してしまった

それは今回の日本にいるロシア人の思いを吐露する動画の
男女の投稿数の違いに現れているのではないか
と想像するのは妄想だろうか

多数決をとりあえず的確な意見の反映とするならば
その賛否の権利を有するものの男女比は同じでないとマズイのではないか
もっとも男女比が満たされても党利党略でそれが上手く機能しないかもしれないが
それは別の問題で、とりあえずは出来るところからするしかない
選挙権をもつ一般人もそのような意識を持って選挙権を行使するのも
現時点では現実的な方法かもしれない

コメント
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