岸田さんが副鼻腔炎の手術の際に全身麻酔を受けたとのこと
一生のうちでできれば経験しないほうが良いのが全身麻酔だが
昔、全身麻酔を受けたことがある
ある時、急に左目の視界が狭くなった
左下がポッカリと見えなくなって、検査のため町中の眼科医に行くと
「網膜剥離の可能性があるから早いうちに手術のできる
眼科に行った方が良い」と言われた
言われたとおり市民病院に行くと、すぐさま手術ということになった
市民病院の眼科医はローテーションで変わるようになっていて
そのうちの二人は偶然高校の同級生だった
一人は、心配ない!と言ってくれたが
もうひとりはトラブルの可能性も否定しなかった
(性格の違いなのか、規定通りの慎重な発言をしただけなのか)
間髪をおかず入院の準備をしてすぐに手術となった
左目の奥の方の手術だったので部分麻酔ではなく
全身麻酔をすることになった
手術室に行く前に何か一言二言言われて、注射を打たれたまでは覚えているが
そこから先は全く覚えていない
気がついた時はベッドに寝ていて、やたらと寒くて仕方がなかった
多分電気毛布がかけられていたが、それでも足りないくらいでガタガタしていた
もう一つ困ったのは大事な部分に違和感があったことで
トイレに行けないことを見越してチューブでお小水を排泄する様になっていたことだ
知らないうちに恥ずかしいことに、、、羞恥心を覚えた
手術は眼球を引っ張り出して行ったらしい
漫画でびっくりした時は目が飛び出る絵が出てくるるが
まさにそんな感じだったようだ
(眼球を引っ張り出せること自体に驚きを覚える)
ガタガタ寒いのが終わると、今度は頭が二日酔いしたみたいにガンガンし始めた
麻酔が切れるのは薬物が切れるのと同じなんだろうか、、と思ったりした
ということで、全身麻酔で覚えているのはこんなことだ
ほんと、できるとならもう二度と全身麻酔などはしたくないものだ
(恥ずかしいし)
テレビドラマは出演者の配役でストーリーの核が決まる
ミステリーなどに人気の俳優さんが登場する場合は
少しだけ登場して事件に無関係などということはありえない
今年、映画で見た「イチケイのカラス」でも最初に吉田羊が出ていたが
旬の女優さんをストーリーに無関係な役で使うことは、やはりなかった
(それ故に不自然な気もしてしまうが)
昔、妹がテレビの刑事物を見ていた時、犯人らしき人物が
番組終了の時間を余して逮捕される場面を見て
「この人犯人じゃない、、まだ時間があるもん」と指摘した
確かにその通りだった
同様に有名でない役者が重要な役をすることが無いことも指摘していた
アメリカではオリンピックだったか忘れたが、スポーツ中継を
録画で行った時、いちばん大事な結果は番組の残り時間の量で
想像がついたために(時間が少ない場合は番狂わせはない)
視聴率が上がらなかったことがあったそうだ
だからスポーツ中継はナマに限るとされたようだ
前置きが長くなってしまったが、「どうする家康」では
新城市に縁のある亀姫のお母さん役の瀬名姫に
有村架純さんを起用している
この時点でドラマの一つの山を瀬名姫の悲劇(徳川家の悲劇)に
焦点を当てているのがわかる
この悲劇は「おんな城主 直虎」でも扱われたが
「人の死」という事実は見ている方の気分にも影響を与える
このドラマも先のことを思うと気が重い
最近の自分は007等のフィクションでも敵方が簡単に
銃撃で倒れてしまうことに違和感があって楽しめなくなっている
つい彼らにも家族があるだろうに、、と考えてしまうからだ
昨日の「どうする家康」にも戦闘シーンがあって無名の戦士たちは
無名のまま戦死する役割だった
物語は「勝つと負ける」だけに焦点が合わされ、
勝つためにはどうするか?が重要なポイントとなっている
それは戦略とか戦術とか駆け引きとかと言われる分野の戦いで
亡くなる人の数は単なる数字としてしか認識されていないようだ
(昨日は弓に射抜かれて絶命する人々の姿を見るのが嫌だった)
ロシアのウクライナ侵攻に対して、テレビでは軍事専門家たちが
戦略的な方法を高揚感を持って(?)こうなるだろうとか、こうすべきだ!
と解説してるようについ思えてしまうが、それが的確な指摘であったとしても
人の死や家族の苦痛を顧みない「専門バカ」のように思えて仕方ない
人の死が単なる数としか扱われないことは
その世界(戦い)が長くなればなるほど日常化される
つまりは「慣れ」とかそれに伴う「無感覚」というのは怖いものだと思う
自分はプレイしたことはないが、ゲームでは敵を武器でやっつける
のがやたらと多いようだ
このゲームの影響というのはどのくらいあるのか不安を覚えてしまう
同居人はニュースでウクライナの惨状を見るにつけ
「嫌だなあ!」と口にする
昔、いつ終わるかわからない絶望的な時間を過ごした記憶が蘇るからだ
(同居人にとっては終わりのあるドラマどころではなかった)
大河ドラマの視聴率は戦国時代を扱うと高くなるらしいが
それは自分のことではないと分かっていて実害が無いから
評論家風に眺めることができるからだと思う
人は戦うことが避けられない生き物とするならば
戦いはサッカーとか野球とかラグビーとか
負けても次があるという形式のものに限定してほしい