購入して読み終えた本が多くなって、本棚に収まらなくなってきたので
思い切って図書館に「好きなように使ってもらう」ように渡してきた
寄贈は断られることもあるが
無料でもっていけるコーナーに置いてもらっても良い
とすれば、引き取ってもらえる
ちょいと別れが寂しいが手から離れた本はこれらだ
この中では「清少納言を求めて フィンランドから京都へ」が良かった
「ロッキード」「ばらまき」「キツネ目」は新聞紙上を賑わした事件のドキュメンタリー
いつまでも心に残るタイプの本ではないが参考にはなった
「マザーツリー」は植物の不思議を説いた別の科学の本の方が面白いかも
でも、いざ手放すとなると、人は所有欲から離れられないものだとも実感した
これらの本が有益な使いかたがなされることを望む
これらの本、何年か後には(すっかり忘れていて)借りてきたりするかも
よく打つなあ!
大谷のホームランを報道を見るたびに思う
日本のTVメディアは朝も昼も、そして夜も大騒ぎの様相
これだけの報道があるとアメリカ国内も盛り上がっているだろう
と想像して、試しにアメリカの報道機関のHPを見てみた
すると、CNNもUSATODAYもFOXNEWSも大リーグ自体の扱いが
そんなに無い
空気感として、日本のそれとアメリカのそれではだいぶ違うのではないか
と思えてしまう
大谷の活躍は喜ばしいことで、恵まれた体格を活かし、絶え間ない努力のお陰で
格別の成績を収めている
それは日本人として何処か誇らしい気持ちになるのはわかる
ただ、日本人が感じているようにアメリカ人が感じているかは別問題
もっと気になるのは、大谷の報道の多さが日本人にある種の勘違いを
生んでいないかという点だ
企業がテレビ広告をする場合、総視聴率と達成率等に目安を設ける
実感としてわかると思われるが、たくさん目にする広告は
ついその商品は世間に普及しているとか、良い商品との思いをもつ
(ハズキルーペなどはその例)
スポンサーの目的とするところはそこにあるので、
知らず知らずそう思ってもらえるのはテレビCMの効果だ
大量に流されるテレビCMは間違いなくある種の空気感を作り出す
CM内容がいい悪いに関係なく、量が多いものには勝てない事が多い
ここで心配になるのは憲法改正の国民投票が行われる場合
テレビ広告の縛りをどうすべきかという点だ
テレビ業界は発言の自由を理由に規制なしの出稿を訴えると思われる
その影響力の大きさよりは経済的な理由でCM規制は無い方が良いとするだろう
また現実問題として党としてのお金が潤沢な自民党は多党よりは
たくさんのCMを流すことができると思われる
こうなると、先程の大谷の例と同じことで
一般人は勘違いを起こしてしまわないだろうか
ただでさえ多くの人と同じが安心と考える傾向の強い日本人だから
CMの量で勝負あり!となってしまわないだろうか
報道の中立公平がTVメディアには求められるとされているが
問題があるとされるのは決まって政府に批判的なトーンのもので
政府広報のようなテレビ局は問題にされない
(政府寄りはスルーされ、批判的なものは問題視されるということで
これなどは実は独裁の姿に近い)
ということで、いま怖さを感じるのはテレビの報道の姿
人は如何に人に振り回されるかを思うと、国民投票のCM量は
制限されるべきだと思う
ところで話は変わってアメリカの報道機関では
メッシがベッカムの所有するマイアミのサッカーチームに移籍することになって
そのチームの観戦チケットが値上がりしていると伝えている
これなどは、日本ではほとんど報じられていない
今目の前にあることだけが現実とか趨勢ではないことを
人は注意しなければならないと思う