普段だったら絶対できない我慢や忍耐、感情を抑えることなどが
仕事の場面ならできる、、という経験は誰しもが持つと思われる
この意味では仕事は人生の貴重な訓練の場とも言える
ところが、仕事で何故そんなに自分を抑えられるかを考えてみると
少しばかり危うい面も見られてくる
我慢ができるのは仕事の対価、お金が関わってくることが多い
例えば理不尽なお客からの罵倒も、客を怒らしたらマズイ
会社に迷惑をかける、ひいいては自分の評価・給料まで響いてくる
と瞬間的に考えることなどが想像できる
人はお金に弱い
特に自分に対しお金を支払ってくれる人に弱い
中国の韓非子は冷徹なまでのリアリストで
彼は従うのはそのお金をくれる人に対してであって、
その原資となる人々にではないとしている
現在の世界を当てはめると、官僚さんは自分たちの給与の原資である
国民の利益に従うのではなく、自分たちの直接の人事権をもつ立場の
人に従う、、ということになる
新城市には若者議会というシステムがある
ただ世間における評価と市内における評価とはかなり違ったものになっているようだ
何よりも若者議会という言葉は知っているが、何をしているか分かっていない人が
多いためにこうした評価になっていると思われる
この若者議会の評価について若者会議のメンバーは
当事者としてどのように感じているかが興味のあるところだが
ある会議録を見てみると、若者たちはいい意味で焦りを感じている
それは市内の人たちが感じている実体感の無さを
自分たちも手応えの無さで感じているようにみえるのだ
あまり知られていない、、なんとかして知ってもらわねば、、
まだ人を疑うことを知らないような若い高校生を主体とした若者議会のメンバーは
会議を行うごとに報酬を受けている
そしてそのことに対し、おそらく直感的に疑問を感じるようになった
もらって良いのだろうか、、もらうべき仕事を自分たちはしているのだろうか
おそらくこれは理屈ではなく、彼らの頭に浮かんだ感情で、それがどこから出てくるかは
わからないとしても、なんとなく違和感を感じるというものだろう
これは今期の若者会議の答申の一部において、
若者会議のメンバー自身が報酬を受けていることへの抵抗感がある
との発言に、市長はもらうことは引け目を感じることではない
との理屈を披露した
果たしてその理屈が若者にストンと理解できるものだったかどうかはわからない
だが、少し心配なのは「人はお金に弱い」という傾向を生み出すこと
人は知らず知らず韓非子の言うように
「自分に対しお金を支払う人にものを言いにくくなる」
最初、お金をもらうことに直感的に違和感を感じても、
そのうちに慣れっこになると当然となり、その支払う主体に対しては
よほどの変人でない限り、無条件に従うことになる
きっと、人は「お金を払ってくれる人には弱い」傾向は
どうしても拭い去ることはできないだろう
だがそれを意識するかしないかは大きな違いがある
無条件にそれに従うか、それとも多少の疑問を持つか、、
人は好きなことには自分の金を使って取り組む
遊びはその代表だが、どういうわけか真面目な分野ボランティアとかにも
自分の時間とお金を使って参加する人がいる
そしてその人たちはお金を使っているにもかかわらず充実感を覚えている
お金をもらうから活動するのではなく、お金を使って活動する
ハンナ・アーレントは「人間の条件」でこのあたりのことを言ってる
ような印象を持ったが、物事の純粋性は
「お金をもらうからではなく、お金を払って行動する」方にありそうな気がする
ということで、よくまとまらない話
これはもう一度頭を整理して考えよう