百田尚樹氏の「日本国紀」がどれだけベストセラーになろうとも
大元(おおもと)となっている考え方に賛同できないので読む気がしないでいる
それでも大雑把な日本の歴史を振り返るのは無駄ではないと
かわりに手にしたのが「日本の論点」中公新書編
最近の記憶力の低下は笑ってしまうほどひどいが、この本を読んでいて
鎌倉時代から室町時代あたりの記憶がすっ飛んでいるのに呆れると同時にショックを覚えた
それは仕方ないとして、本全体を覚えることは難しいので
1つ2つ記憶に残るものがあれば読んだ価値があったと考えるようにしている
それが本質とは関係のないところであったとしても、、
今年は明治維新150年でこの歴史上の出来事が価値あることとして(一部の人達には)扱われているが
その後の戦争につながる流れからすると必ずしも肯定的ばかりとは言えない
日本国内に大きな戦いがなくとりあえず約200年も平和が続いた時代は平安時代と江戸時代で
それが終幕を迎えたのは一種の内部崩壊(瓦解)のようなもので、これは洋の東西、時代のいずれを問わず
人間の行うことの必然なのかも知れない
ある立場の人からすれば瓦解で終わったといわれる江戸時代
当たり前といえば当たり前かもしれないが、その時その時で人はいろんな試行錯誤をしている
江戸時代もそうで、その一つがなかなか面白く付箋を付ける場所があった
徳川吉宗の「足高の制と文書管理システム」
家格は低いが有能な人物を要職につけたい場合、石高を足してその任に就かせる制度
一代限りで、必要な家臣、衣装、同僚との付き合いができるようにするというのも
(なるほど現実的な方法だ)
しかし、石高を加増され新しいポストが与えられてもマニュアルがないと仕事ができない
そこで、吉宗はポスト就任当日から仕事ができるように、公文書システムを整備した
江戸城に散財している公文書を整理しリスト化した
それは10万点を超えるボリュームとなったが、このように整理分類することにより
官僚たちの仕事の効率がぐんと良くなり、それまでは家伝・経験・知識で処理されていた業務が
公文書管理で迅速に処理されるようになった
ここまでは、そりゃそうだよな、、
と今の時代からすると容易に思いつくが、身分制度が厳しい時代では
よくもまあ現実的な方法を取れるようにしたものだと関心する
この話には面白い続きがある
幕府公文書を保管する蔵がいっぱいになった時その処分を考えることになった
役人たちは重複したり不要になった文書の処分を考えた
焼いたり埋めたりするのはもったいないので、紙を漉き返して再利用しようとすることにした
しかしこの作業を民間に依頼すると、幕府の最高機密が漏洩するおそれがある
また無宿人たちの社会厚生施設の石川島人足寄場に請けあわせても彼らはいずれか社会に戻り
やはり秘密は漏れる可能性がある
ならば公文書の大事な部分に墨を塗ろう、、と考えた(現代の情報開示の海苔弁を思い出す)が
これは大変な手間だ
ならば細かくちぎってしまおう
だがこれは後の紙漉きの作業がやりにくくなる、、、
困ったどうしよう、、、と江戸時代の官僚たちも公文書の作成・保管・廃棄に悩んでいた、、というのだ
この話は少し笑える、昔も今も変わらないな、、と
結局のところ、どの時代も現実生活に合わせていろいろ試行錯誤の工夫をする
江戸時代だけでなく平安時代も、、その他の時代も
明治維新以後だけが画期的に優れているのではなく、人は生きている限り個人としてではなく
社会としても工夫してより良く住めるようにする
平安時代と江戸時代に200年以上もとりあえず平和が続いたのは、何故かと考えるのも無駄ではないと思われるが、
この本を読んでて面白かったのは真面目な話ではなく上記エピソードの部分
読解力がない証明みたいなことになったが、本の楽しみ方は人それぞれ、、
現時点で自分は満足しているから、、ま、いいか