難しい本は、何故難しいのか?と考えたことがある
例えばハンナ・アーレントの「全体主義の起源」などは
数ページ読んだだけで続けて読もうとする気分を失わせる
ページ全体に文字ばかりが詰まっていて、それが数ページにわたる
おまけに言い回しが難解で、読み続ける気力と集中力を奪う
だがとても不思議なことに、(今)部分的に関心のある部分だけ読んでいると
この回りくどい言い回しは、実はとてもたくさんの情報を含んでいることが
わかるようになってきた
頭の良すぎるハンナ・アーレントは、文章の中に自分の頭に浮かぶ
様々なことを、読者もわかるだろうと書き込んでいる
(だが、そんなふうに素人は理解できない)
その沢山すぎる情報は、人生経験を積んでいろいろわかってくると
それ自体がとても示唆に富んでいてとても面白いことに気付いた
つまりは彼女の頭の中、浮かんだこと、それらを想像できるようになると
その本の重要さとか意味がわかってくる
(俳句でも、上手な人のそれは短い中にいろんな感情とか要素が含まれている)
結局のところ、本を読むということは読み手の経験の量で理解が違ってくる
これ本に限らず音楽でもそうだろう
昔聴いたレコードを今聴くと、違った印象とか感動を覚えるとしたら
違っているのは時間が経過した自分だけで、それが影響していることになる
美しいメロディというものを考えてみると、それは年齢を重ねると全く違うものになる
自分に限れば今とても美しいと感じるメロディ(あるいは音楽)は
ベートーヴェンの32番のピアノソナタの第2楽章だ
ハ長調でなんてことないメロディだが、そこにはベートヴェンの一生の何かが
(多分一生かけて求めたものが)込められているように思える
そこには多少の諦めとか静かな思いとか、抽象的なものへのあこがれが
全部詰まっている
でもそれを人にどんなに説明しても、それはあまり効果はないとも思える
それがわかるには聴いてみるしかないのだ
聴いてみてその人がどのように感じるか
答えはそれしかない、、その音楽をその人が人生経験を踏んだ後
再度聴いたならばどう感じるか
それがかつて説明された印象と同じとなるか、それとも別のものとなるかは
興味のあることで、仮に一緒のような印象を持つならば
人の感じ方には何らかの共通項があるということだ
ということで、今日もまとまらない話
ところでベートヴェンの32番のピアノソナタ第2楽章はこんな曲
Beethoven: Piano Sonata No. 32 in C Minor, Op. 111: 2. Arietta. Adagio molto semplice e...
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