パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

マーラーの音楽と村上春樹

2022年10月18日 09時05分24秒 | 音楽

自分が参加しているSNSのグループにブロムシュテットの指揮した
マーラーの9番が名演だったとの投稿があったので
しばらく聴いていないこの曲のレコードを引っ張り出して聴いてみた

マーラーの弟子(?)のワルターの指揮した演奏だ
この曲は高校時代にはよく聴いた
ただし、第1楽章だけだ
ベルクが言ってるようにこの楽章は傑作だと思うし
あとの楽章はいらないとまで思ったこともある
一般的な評価では第4楽章のアダージョが生との別れを感じさせるイメージで
感涙とまでの声が挙がることが多く、ブロムシュテットの場合もそうだったようだ

この曲を聴くといつもマーラーの音楽は長編小説のようだと思う
音楽自体の内的な戦いというよりも、音で表現されるドラマが目の前で
展開されるような気がする
昨日は「村上春樹の小説のようだ」と不意に頭に浮かんだ
そして、それは的確な例えだと妙に納得してしまった

一見深いようで、実は結構エンタメ的な要素の多い作品
ウケと切実な表現意欲のせめぎ合い
マーラーの音楽は、それを感じてしまう(村上春樹も)
1楽章と4楽章だけを聴いたが高校時代のようには圧倒されることはなかった

次に同じワルターの指揮のブルックナーの9番を聴いてみた


これは第3楽章だけ聴いた
マーラーの9番の第4楽章とブルックナーの9番の第3楽章は始まりがどこか似てる
と言ってもすぐに彼ら独自の世界に移るのだが、ブルックナーの音楽は
ウケ狙いは少しもなく、彼自身の世界観に終始する
(マーラーは感情的・情緒的でブルックナーは音に帰依する感じ)
マーラーの指揮者として有名なワルターはブルックナーをどのように指揮するか
それが興味の一つだが、昨日不意にワルターはブルックナーを
マーラーの曲のように指揮していると感じた
それは有名な「生からの別れ」と名付けられたチューバのところだったような気がするが
違っているとしても、そう感じたのは確かだ

マーラーが村上春樹と似てるなら、ブルックナーの音楽はどの小説家に似てるのだろうと想像してみた
読みやすい作家は思い浮かばず、むしろ独自の世界観の難しそうな、しかし一旦その世界に入ると
抜け出せないような作家が似てるのではないか、、などと勝手に想像した
(ドストエフスキーかな、、、)

ということで、いろいろ勝手に思うことあれこれ
そして改めて確認したのは自分はブルックナーが好きだな、、ということ
世間のアンケートでは嫌いな作曲家の一番をキープし続けているらしいブルックナー

ヴェルデヴェーレ宮殿内の彼の最期の家を訪れた時は、そこには人影は見えなかった
可愛そうなブルックナー
でも2024年には彼は生誕200年を迎える
それまでに彼の評価は変わっているだろうか?



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