パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

向かう方向が違うだけで、実は同じ能力なのでは、、

2023年02月19日 09時28分32秒 | あれこれ考えること

先日、新城文化会館で開催されている絵画展にでかけた
写真・水彩画・ギター演奏・バイクなど多趣味の知り合いから
教えてもらった展示会で、彼は3つの水彩画を出品していた
彼のテーマカラーの緑をメインとして静かな風景が
いつものように叙情的に描かれていた

会場にはもっと多くの作品が展示してあって
大きいのもや抽象画的なもの、、つまりはいろいろなものがあった

大きな絵は安曇野の風景が描かれていて遠くは北アルプス
近景は田んぼで、絵が目に入った瞬間、まるでその場所にいるような空気を感じた
北アルプスの山々では安曇野から見えるはずの常念岳をつい探してしまった
そして多分あれが常念岳というのを見つけて、しばらくいっていない安曇野を懐かしんだ

世の中にはいろんな能力の人がいるもので、絵の描き方も独特な表現で
情念のような混乱した世界を画面いっぱいにぶつけているようなのもあった
本当にいろんな意識の人、技術の人がいるものだ、、。と感じたのだが
その刹那、あることに気がついた

それは理系と言われる世界は、つい思われがちな頭の善し悪しというよりは
ある種の技術の使いこなし方の優劣に依存しているのではないかということで
代数の行列式などは、それを使いこなすテクニックとか応用は
実はサッカー選手が足を使いこなすのと同じでなないか、、と思えたのだった
いろんな定義、ルールのもと独創的な考えをもって式を使いこなすことは
楽器演奏家が音色に思いを込める技術と向かう方向が違うだけで本質的には
同じなのではないのか、、

つまりは人には一人ひとりが夢中になれる世界があって
そういう人の中には必要とされる技術を使いこなすことができるようになる
その世界はみんなが達する事のできるものではないが
その世界の価値には優劣はないのではないか、、
(実用性は科学分野にありそうだが、心を豊かにする音楽や絵画も実用性はありそう)

そんな風に考えると、頭が良いとか記憶力が良いとかだけが重要な能力ではない
と思えるようになった
最近は多様性を認める世界に向かっているが、性的な多様性だけでなく
こうした技術を駆使できる人々の表現とかあり方への多様性も必要と思われる

なんかうまくまとまらなかったが、つまりは理系の頭の良さは
楽器演奏の上手さとか、絵を描く能力とか、サッカーでシュートを決める能力と
実はみんな同じという気がしたということ
(日曜日にこんなことを思い浮かべるのも一つの能力?)

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聴いて怖いと感じた音楽

2023年02月18日 09時06分59秒 | 音楽

人は他の器官と比べると目から入る情報が圧倒的に多い
だから音楽の世界でも音楽以外の視覚的要素が重要視される
昨今のグループによるダンスの多い音楽はその典型といえる

「歌がないとつまらない」
と楽器演奏の曲を聞いて口にした人がいる
彼女からすると人の声の直接感情に訴える力とか歌詞の力は
抽象的な楽器演奏の世界よりはわかりやすいために
そのように感じているのだと思われる

だが自分は視覚的要素とか歌詞があるほうが面倒くさくなっている
むしろ音の構成要素だけで成り立っている方が勝手に想像できるから
集中もしやすいし楽しめる

昨晩、一度聴いただけで怖くなって避けていた音楽を聴いた


シューベルトのピアノソナタ20番の第2楽章だ
彼の最後の21番のソナタはラ・ローチャ、伊藤恵さんライブで体験したが
ゆったりした楽章はまるで夢心地となるが
この20番のソナタの第2楽章アンダンティーノは怖い音楽だ
音と音の間隔が休符によってあいて耳は次の音を待つ
すると突然、深淵を体験させられるような強烈な和音が響く
それは美しいとか幻想的とかの表現では追いつかない
初めて聴いた時はただ怖い、、と感じて二度と聴こうという気にはなれなかった

晩年に作曲家がどのような境地に達するかを思えば
ベートーヴェンの晩年のピアノソナタは本当に静かな落ち着いた悟りのような音楽だが
同じ晩年でもシューベルトの表現しようとしたものは全く違う
それは混乱した頭の中の創造物なのか、それともロマン派初期の新しい試みなのか
専門家ではないのでわからない
ただ言えるのは、怖い音楽だということだけだ

もしかして、この曲が世間的に有名でないとか演奏頻度が少ないのは
人が普段の生活を送るためにはそのほうが良いと
知らず識らず防衛意識が働いているからではないかとさえ思えてくる

音楽を聞いて色々感じるというのは、結局は人の脳内で起きている出来事だ
外的にどこの脳の部分が働いていることは観察できても
その内容自体は本人しかわからない

しかし、この音楽を怖いと感じてしまったのは何故かと
ちょいと考えてみるのは面白いかもしれない
(どうでもいいことだが)


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なんて日だ!

2023年02月17日 12時48分15秒 | 徒然なるままに

小銭ばかり集まっている地元の神社の賽銭
(今年度は自分が集める役割)
通帳に入金するのに小銭ばかりでは手数料がかかってしまうので
ずっと貯まりっぱなしになっている

結局、通帳には自分が両替して入金しているが
残った小銭の使い方が難しい
そこでトルコ・シリア地震の募金に使うことにした
先日近くのスーパーでは募金を受け付けているのは確認済だ

さて店に着いて募金箱に入れようとすると
受け口は5ミリ✕3センチ位で、小銭を一つ一つ入れるのは面倒くさい
一括して入れるためには鍵がしまった箱を開けなければならない
店員さんが鍵を持つ人へ電話するが、おえらいさんは会議中で電話に出られない
仕方ない、少しづつでも投入口から入れるしか無い
面倒だな!と思いつつ店員さんと一緒に投入する

これは思いのほか時間はかからなかった
だが今日の運勢は、、思い通りにならなかったことが反映されるような日となった

帰りに知人の家に寄って少し話をして、帰ろうとすると
見送りに出た知人の
「あれっ、車のホイールカバーがない」の一言

またか!
ショックを受けたのはこれで3回目だったからで
車の左前方の車輪のホイールカバーが取れてしまって
味気ない鉄のホイールが露出している
今日は運転していて外れる感覚は全然なかった
だからどこで無くなったかはわからない

結局みっともないので新しく手に入れるしか無い
その費用は、、、〇〇〇〇円ほど必要だ
今月は、せっかく節約していたのに、これでおじゃんになってしまう

くさるなあ、、
このような日は、何故か時々ある
偶然かどうかわかないが、とにかく悪い方へ悪い方へと運気が流れる

良い方へ良い方へと流れる日もあるから
トータルすれば公平ということになるかもしれないが
ダメージがある分だけ悪いときのほうが印象に残る

正直なところ、お笑いの小峠さんの使う
「なんて日だ!」と口にしたくなってしまった


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何かを節約せねば!

2023年02月16日 11時35分49秒 | 徒然なるままに

電気代が笑えないほど上がっている
使用量は同時期よりも減っていても請求金額は2割増しだった
スーパーではメモを見ながら買い物をする人を多く見かける
特売のラベルの貼られた商品は棚から無くなっていくスピードが速い
どの家庭も似たような行動をしていているようだ

節約ばっかりでは経済が回っていかないので過度な節約はよくない
と頭でわかっていても、それを実行に移すのは案外難しい
節約の快感に慣れてくると、それ自体が面白い行動のように思えてしまう
特に家計簿をつけるとその傾向は強くなる

2月は中旬にいつもとは違う出費がある
19日にNHK交響楽団のコンサートが名古屋であって
プログラムはブラームスの4番がメイン
最近はこの曲が好きになっているので売出しと同時に注文した
(席は普通では取れないような席となった)

田舎から名古屋まで出かけるとチケット以外の出費が出てくる
交通費はもちろんのこと、コンサートは微妙な時間なので
食事代もかかるかもしれない
それ以外にも街で何かを見かけると、つい購入!の可能性がある

それだから今は節約生活をしている
これ以外にも今月は大きな出費が予定されている
新しいアナログプレーヤーがもうじき来ることになっている
これは今まで使っていたノッティンガムよりもグレードダウンするのだが
かと言ってべらぼうに低下するものではなく、それなりの価格帯だ

これはポイントが付くのでクレジット決済にするが
今月の家計簿は明らかに赤字になる
それが分かっているので、節約に拍車がかかる
どこかで節約しなければ!
当たり前のことだ
だが自分の好きなものを諦めて暮らすのは(生きるのは)
今の年齢ではつまらない

人はお金の使い方に個性とか人間性が出てくる
自分はゴルフもお酒もやらないし、そんなに贅沢をする方ではない
使うのは本くらいなもので、最近は図書館からも多いから出費はしれている
だからちょいと高くてもこの出費は仕方ない、、
と自分自身に言い聞かせている

大きな金額を使う時は、自分自身を納得させるのに時間がかかる
と、なにかで見たような気がする(聞いたのかもしれない)
確かに、そう思う様になるには少し時間がかかった気もする

でも、まずは節約!仕方ない、、
そのうち節約疲れとか、節約ストレスが爆発しないと良いのだが


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還付金詐欺が近所で行われそうになった

2023年02月15日 09時11分30秒 | 徒然なるままに

自分は前から、同居人は後ろから新聞を読む
時間をかけて読む記事も違っている
時々「あれ読んだ?」
と記事の部分を指し示して新聞を手渡たしてくる

今朝は自分が先に読んだので、きっと同居人が「読んだ?」
と聞いてくると思われる記事を見つけた

「還付金詐欺を阻止 新城の郵便職員を表彰」
この郵便局は自宅から歩いて5分もかからないすぐ傍で
局長さんとは世間話をすることがあるし、職員も顔見知りが多い
だが、新聞に掲載された職員の顔は知ってる人ではなかった

毎日のように防災無線で注意勧告をしていても
詐欺に引っかかりそうな人は依然としているものだ

「還付金がもらえると聞いたので、、」
と話す人と、担当者が顔見知りだったので詳しく話を聞けて
未然に防ぐことができたらしい

先日は自分宛にETC絡みの詐欺メールが届いたし
世の中は油断もスキもあったもんじゃない

そう言えば、一年ほど前には近所のコンビニでも
還付金詐欺を未然に防ぎ警察に表彰された
と新聞記事になったことがあった
その人とはレジの支払いだけの関係だが
「良かったね、ご苦労さま!」
と声をかけるとそれから少し話が弾んだ

このように身の回りにも怪しい話が
ヒタヒタと迫ってくるように思われる
新型コロナ感染者も知り合いがなったり
小学校が休校になったりで
明るい話はあまり無いかのようだ

困ったものだ

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水分補給

2023年02月14日 09時52分42秒 | Weblog

実感的健康法(?)

夏の終り体重が減って何十年ぶりかの60キロ台になった
その頃は、どうにもお腹が重い感じで食欲もなく
それでも3度の食事は量を減らして無理やり食べていた
どこか悪いのだろうかと胃腸薬を購入した

そのうち胃腸の調子が悪いのは
冷たいものを飲みすぎたせいかもしれないと思うようになった
(もともと夏の必要不可欠のビールと麦茶を飲むといつも下痢気味になり
 麦との相性がよくないのかとも思ったりした)

最近は朝起きると不意に思いついたのだが、白湯を飲むことにしている
温かいものが喉から胃腸へ移動していく感じが
どこか生きている感じがして心地よい

水分を十分に取るように、、
と医者に言われている
今までに2回ほど尿路結石でつらい思いをしている
レントゲンで見ると腎臓にははっきりと石の影が見える
健康診断の腎臓の数字もそのせいかもしれないと勝手に思い込んでいる

ここ最近、寝る前にも(少し多めに)白湯を飲むようにしている
すると良いことがあった(と実感している)
それは唯一同居人から褒められることで
朝のお通じが以前にもまして楽になっていることだ
水分の補給が十分になされて、大きいほうが柔らかくなって
前の硬い状態よりは楽に出てくる

水分が足りないとどんなものが排泄されるか?
山に登っていた頃、山小屋のトイレでは
まるでヤギの糞のような小さな球の排泄物に驚きを覚えたのだった
登山時には帽子とメガネの縁から汗が流れ落ちる
体中の水分を汗として絞り出すように体外に放出するから
体には水分が残っておらず、結果的に大の方はこうなったのだった

その記憶があるから、適度な水分補給は必要だと思いついたのだが
寝る前の白湯の効果は想像以上に好ましいと実感している

ところが良いことばかりでは無いのがこの世界
今度は夜中にトイレに行きたくなってしまう
年齢を重ねるとトイレが近くなると言われるが
補給した分だけ(?)体外に排泄したくなるようだ

幸い夜中に起きてもすぐに寝られるので
これは大して気にせずにいられる

それにしても何事も、良いこと悪いことは裏表で
水分補給は適度にしたほうが良いとしても
冷水は避けたほうが良い!
というのが今にして気づいた実践的な知恵だ

ということで、お気楽な話!

※ネットで白湯を検索すると、体に良い理由や飲み方が紹介されていた
 それらは確かにその通りだと思えるのだった

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全身麻酔

2023年02月13日 15時21分14秒 | 徒然なるままに

岸田さんが副鼻腔炎の手術の際に全身麻酔を受けたとのこと
一生のうちでできれば経験しないほうが良いのが全身麻酔だが
昔、全身麻酔を受けたことがある

ある時、急に左目の視界が狭くなった
左下がポッカリと見えなくなって、検査のため町中の眼科医に行くと
「網膜剥離の可能性があるから早いうちに手術のできる
 眼科に行った方が良い」と言われた

言われたとおり市民病院に行くと、すぐさま手術ということになった
市民病院の眼科医はローテーションで変わるようになっていて
そのうちの二人は偶然高校の同級生だった
一人は、心配ない!と言ってくれたが
もうひとりはトラブルの可能性も否定しなかった
(性格の違いなのか、規定通りの慎重な発言をしただけなのか)

間髪をおかず入院の準備をしてすぐに手術となった
左目の奥の方の手術だったので部分麻酔ではなく
全身麻酔をすることになった

手術室に行く前に何か一言二言言われて、注射を打たれたまでは覚えているが
そこから先は全く覚えていない
気がついた時はベッドに寝ていて、やたらと寒くて仕方がなかった
多分電気毛布がかけられていたが、それでも足りないくらいでガタガタしていた
もう一つ困ったのは大事な部分に違和感があったことで
トイレに行けないことを見越してチューブでお小水を排泄する様になっていたことだ
知らないうちに恥ずかしいことに、、、羞恥心を覚えた

手術は眼球を引っ張り出して行ったらしい
漫画でびっくりした時は目が飛び出る絵が出てくるるが
まさにそんな感じだったようだ
(眼球を引っ張り出せること自体に驚きを覚える)

ガタガタ寒いのが終わると、今度は頭が二日酔いしたみたいにガンガンし始めた
麻酔が切れるのは薬物が切れるのと同じなんだろうか、、と思ったりした

ということで、全身麻酔で覚えているのはこんなことだ
ほんと、できるとならもう二度と全身麻酔などはしたくないものだ
(恥ずかしいし)


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「どうする家康」を見ながら思うこと

2023年02月13日 11時01分21秒 | あれこれ考えること

テレビドラマは出演者の配役でストーリーの核が決まる
ミステリーなどに人気の俳優さんが登場する場合は
少しだけ登場して事件に無関係などということはありえない

今年、映画で見た「イチケイのカラス」でも最初に吉田羊が出ていたが
旬の女優さんをストーリーに無関係な役で使うことは、やはりなかった
(それ故に不自然な気もしてしまうが)

昔、妹がテレビの刑事物を見ていた時、犯人らしき人物が
番組終了の時間を余して逮捕される場面を見て
「この人犯人じゃない、、まだ時間があるもん」と指摘した
確かにその通りだった
同様に有名でない役者が重要な役をすることが無いことも指摘していた

アメリカではオリンピックだったか忘れたが、スポーツ中継を
録画で行った時、いちばん大事な結果は番組の残り時間の量で
想像がついたために(時間が少ない場合は番狂わせはない)
視聴率が上がらなかったことがあったそうだ
だからスポーツ中継はナマに限るとされたようだ

前置きが長くなってしまったが、「どうする家康」では
新城市に縁のある亀姫のお母さん役の瀬名姫に
有村架純さんを起用している
この時点でドラマの一つの山を瀬名姫の悲劇(徳川家の悲劇)に
焦点を当てているのがわかる
この悲劇は「おんな城主 直虎」でも扱われたが
「人の死」という事実は見ている方の気分にも影響を与える
このドラマも先のことを思うと気が重い

最近の自分は007等のフィクションでも敵方が簡単に
銃撃で倒れてしまうことに違和感があって楽しめなくなっている
つい彼らにも家族があるだろうに、、と考えてしまうからだ

昨日の「どうする家康」にも戦闘シーンがあって無名の戦士たちは
無名のまま戦死する役割だった
物語は「勝つと負ける」だけに焦点が合わされ、
勝つためにはどうするか?が重要なポイントとなっている
それは戦略とか戦術とか駆け引きとかと言われる分野の戦いで
亡くなる人の数は単なる数字としてしか認識されていないようだ
(昨日は弓に射抜かれて絶命する人々の姿を見るのが嫌だった)

ロシアのウクライナ侵攻に対して、テレビでは軍事専門家たちが
戦略的な方法を高揚感を持って(?)こうなるだろうとか、こうすべきだ!
と解説してるようについ思えてしまうが、それが的確な指摘であったとしても
人の死や家族の苦痛を顧みない「専門バカ」のように思えて仕方ない

人の死が単なる数としか扱われないことは
その世界(戦い)が長くなればなるほど日常化される
つまりは「慣れ」とかそれに伴う「無感覚」というのは怖いものだと思う
自分はプレイしたことはないが、ゲームでは敵を武器でやっつける
のがやたらと多いようだ
このゲームの影響というのはどのくらいあるのか不安を覚えてしまう

同居人はニュースでウクライナの惨状を見るにつけ
「嫌だなあ!」と口にする
昔、いつ終わるかわからない絶望的な時間を過ごした記憶が蘇るからだ
(同居人にとっては終わりのあるドラマどころではなかった)

大河ドラマの視聴率は戦国時代を扱うと高くなるらしいが
それは自分のことではないと分かっていて実害が無いから
評論家風に眺めることができるからだと思う

人は戦うことが避けられない生き物とするならば
戦いはサッカーとか野球とかラグビーとか
負けても次があるという形式のものに限定してほしい



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不審メールが届いた

2023年02月12日 14時58分36秒 | 徒然なるままに

メールを確認すると変なものが届いていた 
スクリーンショットしたものがこれ

ETCは使っているが、その利用明細をネットで調べたことなどない
だから、登録IDもパスワードも設定した覚えは全く無い

きっと詐欺メールに違いないと想像して、ネットで検索してみるとやはりそうだった
(幾つもの注意勧告のページが存在している)

プロバイダに迷惑メールが届かないように設定しているが
それをすり抜けてやってくる面倒なメール
実は自分は届いたメールは転送してGmailに保存できるように設定してある
そこでは強力なGmailのチェックが働いて怪しいものは迷惑メールのフォルダに区別されている

今回をGmailを確認すると「過去にあった類似の迷惑メールのパターンです」
との説明で受信フォルダからは弾かれていた

こうした迷惑メール、詐欺メールは勘が働いて被害に合わずに済んでいるが
それにしてもこうしたことの多いこと
固定電話を使ってのオレオレ詐欺まがいも含めて
一体世の中はどうなっているのだ!と怒りと不安が湧き上がる

まるでお金は万能の神のような位置づけで
一部の人はそれに振り回されているようだ
そしてそれは、個人が弱くて悪いのか?
それとも社会が悪いのか?

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理解しづらい本を楽しむ

2023年02月12日 09時37分44秒 | 

この時期、新聞に大学入試の問題が掲載されると
トライしてみようかと思うことがある
だが老眼の目には文字が小さくてとても読めないし
わずかに挑戦した問題がとっくに忘れていることばかりで
少し見るだけで戦意喪失という状態になる

自分の(おそらく人の)一番頭の良かった時代は
頭の良いという定義を単に広範な知識とすると
大学入試の頃ではないのだろうか

入試問題を見て、あの頃はこれらが答えられるほどの
記憶とか知恵があったのだ!と驚きさえ感じてしまう

昔、面白いと感じていつか再読しようと思っていた本に、現在挑戦しつつある
その本が

左側の「不思議な数eの物語」は東京に向かう新幹線の中で読んでいた本で
興奮を覚えて時が経つのを忘れていた記憶がある
だから科学系の面白い本として「自然界における左と右」
「ゾウの時間、ネズミの時間」と同レベルの評価(推薦本)をしていた
同様に、読んでいてコンピュータの計算もこれを利用しているかもしれない
と実感したのが「図解解説 線形代数」で、これもまたどこか知的興奮を覚えた

そんな記憶があるものだから何年ぶり(何十年ぶり)再読にトライしてみた
ところが、途中から悲しい現実に直面した
書かれていることが、すんなり理解できない
大枠の流れはわかるが、具体的な方法論とか計算式の段階になると
紙に書かずに頭の中だけで理解しようとするとお手上げだ
読んで分かったような気になれても、頭に定着しないので
素通りしていくかのような気さえする

せめて昔、興奮したのが何だったのか、、を知りたいと思ったが
こうした世界から長時間離れていたせいか、
その世界のモードとか波長に合わせることができない
途中で投げ出すにも悔しいので、今は投げ出さずにいるが、、、

紙に残されたもので、理解しようとしても理解できない世界のもう一つは
音楽のスコアだ

音が無くても頭の中の音で楽しむことができるのが楽譜
モーツァルトの36番の交響曲「リンツ」もブルックナーの交響曲第2番も
大好きな曲で昔ポケットスコアを手に入れた
曲は知っているので、スコアの音は想像できる
しかし、主旋律でないところの音とか、管楽器同士の和音になると
それらは頭には音が浮かんで来ない
これも悔しい現実だが、スコアを見て気づくことは
作曲家は思った以上にいろんな工夫をしているようだ、、と感じることだ
モーツアルトの音楽は楽譜を見てもイキイキしているのが感じられるし
それは音だけ聴くよりはもっと違う秘密があるような気なったりする
ブルックナーは音楽素材を丁寧に展開、利用している気もする

科学の本も音楽の本も、残念ながらその道の人ほど理解はできない
でも少しだけは何かを感じることはできる
理解できないが感じることはできる、、、
歳を重ねて年々感受性が鈍くなっているが
それでもまだいろいろ感じることができる(勘違いとしても)のは
良しとするか(悔しいが仕方ない)



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